#030 知らない子

ちいさな物語

いやさ、俺も驚いたんだよ。その夜、残業でくたくたになっていた俺はスマホに留守電が入っているのに気づいた。親から着信が入っていて「今度、お前のところに田舎の親戚の子が行くから、しばらく面倒見てやってくれ」って。いや、俺、仕事忙しいし、何でそんな話になるんだよって思ったけど深夜に電話もできない。朝になったら見事にそのことを忘れていたわけ。

――で、忘れているところに実際その子が来たんだよ。名前は「咲良」って言うらしい。年は高校生くらいか? 普通、年頃の女の子を男の家に預けないだろ。でも当然、ドラマみたいな素敵な展開にはならないわけ。こっちは社畜よ? 早朝に仕事に出て、残業で深夜に帰ってくる。ここ最近は土日も仕事だ。

咲良は無口で、愛想もない子なんだけど、妙に大人びてる感じがしてさ。だから気は遣うし、生活リズムは狂うし。正直やりづらいなあって思ったけど、まあ、しばらくの辛抱だと自分に言い聞かせたんだよ。

違和感は最初からあった。咲良は俺にほとんど質問もしないし、必要最低限の言葉しか発しない。それにほぼ手ぶらで来てるんだよ。スマホもないんだ。今どきの子がスマホも持たないなんておかしいだろ?

俺は自炊する気もなかったから、後で親に請求するつもりで飯代だけ渡してたんだ。でも千円札渡されて首を傾げてた。「少ない」とかそういう顔じゃないんだよ。「なにこれ?」って顔だ。確かめるみたいにひっくり返したりヒラヒラさせたりして、最後にやけに丁寧に半分に折って懐に入れた。ポケットとかバッグとかじゃなくて、わかるかな、こう、手を首元に突っ込んで、服の中にしまったんだ。変な子だろ?

その咲良が残業から帰った時間にめずらしく起き出してきて、「アポロ」って言ったんだ。「え?」って聞き返したときにはもうそこにいなかった。アポロって宇宙船のことか、それともあの有名なチョコレート菓子のことか。

翌日、たまたま仕事が早く片付いた俺はコンビニでチョコレート菓子の方のアポロを買って帰り咲良に渡した。どうやら正解だったみたいで、咲良は小さな箱を妙にうやうやしく受け取った。それからやっぱり確認するみたいにさすったり、振ったりしている。なんだか小さな子供とか小動物みたいなんだよな。喜んではいるように見えたけど、相変わらず無口だし、何を考えているのかわからない。俺はフィルムをはがしてアポロの箱を開けてやった。

翌日、俺は期間限定フレーバーの大粒のアポロを買って帰ったが、咲良はもういなかったんだ。

気になって親に電話してみた。

「なあ、咲良ってどこの親戚? マリコ叔母さんの実家とかの関係? いなくなってるんだけど大丈夫かな」

そしたら親が驚いてさ、「咲良? それ誰だい? あんたに預けるって……そんな話した覚えないけど」って。いやいや、何言ってんだよ、あんたらが頼んできたんだろ?って言い返したんだけど、親は「あんたみたいなズボラにそんなこと頼むわけないじゃない」って、断固として否定するんだよ。「証拠が残ってるんだよ」と、一度電話を切ってから留守電を確認すると、驚いたことに着歴ごとなくなってた。

背筋がゾッとしたよ。じゃあ、あの子、一体誰なんだって話になるだろ?

大慌てで咲良が使っていたせまい部屋の扉を開けたら、部屋が空っぽというか、元のままなんだ。元というのは咲良が来る前。俺は日用品のストックとかあまり使わないものをその部屋に詰め込んで、倉庫みたいにしてたんだけど、倉庫みたいな状態のままだった。ただ、ドアのところにきれいに折りたたんだ千円札がこれまたきれいに重ねて置いてあったんだよ。

俺、もう訳が分からなくなって、ただ呆然とした。それから親に何度聞いても「知らない」「しつこい」って言うし、田舎の親戚にも片っ端から確認したけど、親戚に咲良なんて名前の子は存在しなかったんだ。

今でも時々思い出すよ。無表情ながらアポロをもらってよろこんでいる様子とか。俺は一体、誰の面倒を見てたんだろうな。いや、そもそも、あれは本当に「人間」だったのか……。

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