「あー、やっぱこの部屋、気配が濃いなぁ……」
先輩は無責任につぶやいた。まるで「雨降りそうだなぁ」くらいのゆるさだ。今日もやる気がなさそうで困る。
ここは某不動産会社が「夜な夜な幽霊が現れる」と訴えてきたマンションの一室。私たちは知る人ぞ知る事故物件を専門にした除霊会社に雇われている専属霊媒師だ。ちなみに私は宅地建物取引士と管理業務主任者の資格も持っている。先輩はやる気がないので持っていない。
確かにこの部屋はえらく空気が重たかった。確実にいる。私はまだ見習いのはずなんだけど先輩が役に立たないので、とりあえず先頭に立って部屋に入った。
「先輩、どこに霊がいるかわかりますか?」
「なんというか、いることはわかるけどねー」と、大あくび。
——ほら、やっぱり役に立たない。私はため息をついて、代わりに部屋をじっと見渡した。
「……カーテンレール、首を吊ってます。キッチン、血まみれです。バスルーム、解体されてます。ロフトに……」
私は窓に駆け寄ってカーテンを開けた。隣に首吊幽霊が揺れているが、もはや慣れているのでどうでもいい。
「霊道です。あそこ、古い墓地があります」
先輩はまだ玄関の方にいて、脱力したように拍手している。
「あみちゃん、すごーい」
イラッとしたが、先輩が動くのを待っていては仕事が終わらない。
「浄霊します!」
「え、今から? 即刻?」
「先輩、そんなこと言ってる場合ですか?」
私はサッと社名入りの護符を取り出し、霊に向かって静かに念を込める。すると、カーテンレールにぶら下がっていた影がグラリと揺れ、低い呻き声をあげた。大きく揺れ始める。思っていたよりも手強い。
先輩がようやく玄関から入ってくる。
「ちょっと! 先輩、そこ動かないでください!」
——が、時すでに遅し。ただカーテンレールで揺れていただけの首吊霊がすさまじい形相で先輩の首に取りつき、締め上げはじめた。しまった、護符で怒らせたかもしれない。
「邪魔するならこないでくださいよ」
除霊を続けるわけにはいかなくなり、「勘弁してよ! もう」と、私は護符をさげた。
「もう先輩は下がっててください!」
研修を受けただけの自分でもあんな弱小霊に負けやしない。ただ黙って首を締められているとか、何を考えているんだろう。イラ立ちはピークに達した。
「――そうか。それはつらかったな。」
先輩がぽつりとこぼす。途端に首吊霊が手をゆるめる。
「――そうか。俺もだ。こんな時間に働いてるんだからお察しだよな。見たままのブラック企業だよ。うん。そうそう。あー、わかるわ。仕事の帰りにコンビニ寄ってく。え? 俺? ツナマヨ派。はぁ? 鮭ハラミ? んな高額なもん買えるかよ。ああ、それな。俺ならクーポンはいくら醤油漬けおにぎりに使う」
先輩は一人でしゃべっている。いや、たぶん、首吊の霊と会話しているのだ。悔しいが霊の声は聞こえない。
やがて、首吊霊の顔の辺りからほたほたと何かが流れ落ちた。泣いているみたいだ。「つらかったよな。でもここにいても仕方ないぞ」先輩はスッと印を結ぶ。首吊霊はそのまま静かに消えていった。
部屋の空気が少しに軽くなる。
「えーっと、あと、キッチンとバスルーム?」
「――てない」
思わず声をもらす私に先輩は首をかしげる。
「こんなの聞いてない。研修で教えてもらえなかった」
「覚えなくていいよ、こんなこと」
そんな除霊の仕方は知らなかった。悪霊は全部敵だと教わっていたのに。
「ただ、その社名入りの護符。あんま使わない方がいいよ。なんか前にさ、霊に恨まれたヤツが待ち伏せくらってひどい目に遭ってたからな。あみちゃんとこ、実家神社でしょ? お家から護符も送ってもらいなよ」
悔しいけれど、このどうしようもない先輩から学ぶべきことは多そうだ。これが実戦というやつか。こうして今日も、私は霊媒師としての実績を積むのだった。
#038 除霊会社の専属霊媒師(見習い)

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