気がつくと、俺は法廷に立っていた。
傍聴席には、黒ずくめの人々が並び、静かにこちらを見ている。検察官は痩せた男で、深い皺の刻まれた顔をしていた。判事はというと、裁判官席で何やら書類を眺めている。ここからは何が書いてあるのか見えないが、膨大な量の書類だ。
しかし、俺にはまったく理解できないことが一つあった。
「俺は……何の罪で裁かれているんですか?」
弁護人らしき男は無言のまま、視線を逸らした。
検察官が立ち上がり、無機質な声で告げる。
「被告人の罪状——それは、“それ”です」
「……は?」
「“それ”が問題なのです」
法廷内にざわめきが広がる。しかし、俺には意味がわからない。
「待ってくれ、“それ”って何のことだ?」
判事が木槌を打ち鳴らし、静かに言った。
「被告人、あなたは本当に“それ”を理解していないのですか?」
「だから、“それ”って何のことですか!」
誰も答えない。
代わりに、検察官が証拠品らしきものを掲げた。
「こちらをご覧ください」
そこには、一枚の真っ白な紙があった。何も書かれていない。ただの白紙だ。しかし法廷内には「ひっ」と息をのむような声があがる。
「これは……?」
「決定的証拠です」
「証拠って、何の?」
検察官は、まるで俺が愚か者であるかのように首を振る。
「この証拠を見ても、なお罪を認めないのですか?」
「いや、だからその紙、何も書かれてないだろ!」
判事が溜息をついた。
「被告人、反省の色なし——か」
「反省も何も、俺が一体何をしたんだよ!」
傍聴席の黒ずくめの人々が、一斉にざわつく。
「おや、これは驚いた」
「まさか、自分のしたことを本当に忘れているのか?」
「これは裁判どころではないな」
囁き声が波のように広がる。
俺は汗をかき始めた。ここにいる誰もが、俺を裁こうとしている。だが何の理由で?
「弁護人!」
俺は隣の男に助けを求めた。
「何か言ってくれ!」
弁護人はやっと重い口を開いた。
「……残念ながら、私にも弁護できません」
「どういうことだよ!」
「あなたが“それ”を認識していない以上……弁護のしようがないのです」
俺の背筋に冷たいものが走った。
——この裁判、最初から結論は決まっているのではないか?
判事が木槌を打つ。
「これ以上の審議は無駄でしょう。判決を言い渡します」
俺は息をのんだ。
——終わる。何もわからないまま、俺は裁かれる。
「被告人は——“それ”により死刑」
その瞬間、法廷の壁が崩れ、眩い光が差し込んだ。
——そして、俺は目を覚ました。
自分のベッドの上だった。
あまりに現実感のある夢に俺はしばらく動けなかった。
だが、ふと気づく。枕元には、一枚の真っ白な紙が置かれていた。
「……これは」
その紙を見た途端、頭の奥に何かが蘇る感覚がした。
ドアベルが鳴る。早朝の訪問者、これは夢の始まりと同じであった。
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