#076 回転寿司と回るおじさんの幽霊

ちいさな物語

回転寿司のレーンに、おじさんが流れていた。

寿司の皿に挟まれながら、妙にリラックスした顔をしている。

「おっ、トロが来た!」

おじさんは隣の皿からトロをつまみ、満足げに頬張った。いや、何食ってんだ。ていうか、なぜ流れてる?

俺は周囲を見渡した。だが、誰も気にしていない。客も店員も、レーンに流れるおじさんをスルーして寿司を取っている。

「……すみません、あれ、見えます?」隣の席の男にたずねた。

「ん?」男は不思議そうにレーンを見た。「あれって何?」

――ということは、俺にしか見えていないのか?

「兄ちゃん、どうした。おっさんがそんなめずらしいんか」

おじさんがニヤリと笑いながら、俺の前を流れていこうとする。

「ちょ、待って」思わず呼び止めた。

「おっ、兄ちゃん、俺が見えるのか? それは縁起がいい!」

おじさんは「よっこらせっ」と、レーンから降りてテーブルにあぐらをかく。何が縁起がいいんだ。いや、まずは冷静になれ。

「……あの、なぜ回ってるんですか?」

周りを気にして小声でたずねると、おじさんはなぜそんなことを聞くのかと言わんばかりにきょとんとする。

「決まってるだろ? ここが俺の居場所だからさ」

いやいやいや、普通の客は回らない。

「そもそも、生きてます?」

「はっはっは! さすがにそれを聞かれるとは思わなかったな」

おじさんは茶碗蒸しの皿を取ってまた戻す。これ、他の客にはどう見えてるんだ?

「まぁ、寿司と一緒に回ってる時点で察してくれ」と笑った。

幽霊なのか。

「でも、なんで回転寿司に?」

「俺はな、この店の大常連だったんだよ。毎日来てた。寿司が好きすぎてな、最期もここで食いながら倒れたんだ」

「……え?」

「で、気がついたら回ってた」

めちゃくちゃ自然に言うな。

「成仏しないんですか?」

「するかよ。こんなうまい寿司、あの世にあると思うか?」

断言するのか。

「それに、ここなら食い放題だぜ?」

そう言って、おじさんは流れてきたウニをひょいと摘まんで食べた。やはり他の客にどう見えているのか気になる。

「いや、そんなのルール違反でしょ……」

「大丈夫大丈夫、幽霊だから皿はカウントされない」

皿の問題じゃない。何が大丈夫だ。

「っていうか、店側も気づいてますよね?」

「おう、そこの大将は知ってる。霊感があるんだ。でも放っておいてくれてるよ」

「なんで?」

「俺が寿司を食うと、売上が伸びる」

どういう理屈だ。

「ほら、俺がパクッと食うだろ?」

おじさんは流れてきたイクラを食べた。

「すると、急にみんな注文し始める」

「まさか……」

「俺が回る店、繁盛するんだよ」

商売繁盛の神様?

「だから大将も、『これからもよろしく』ってさ」

「でも、回ってるだけで飽きません?」

「バカ言え! 寿司は回るもんだ、人生も回るもんだ!」

名言っぽいけど何を言っているのかよくわからない。

そのとき、店員が席に来た。呼んだわけではないが、おじさんと俺を交互に見ている。この人も見えるのか。何を話しているのか、探りにきたんだろう。

「お客さん、何かご注文は?」

「あ、じゃあ……マグロを」

「かしこまりました」

しばらくして、注文したマグロが流れてきた。

すると、おじさんがすっと手を伸ばし——

「ちょっ、待て!」

おじさんは俺のマグロをひょいとつまみ、口に放り込んだ。

「……うん、やっぱうまいな!」

「おい! 俺のマグロ!!」

おじさんは再度レーンに乗って奥の方へと流れていってしまった。ちくしょう。

俺は呆然としながら、空の皿を見つめる。しかしその後、不思議なことが起こった。いや、実はすでに起こっていたのだ。

おじさんが食べたトロ、ウニ、イクラ、マグロが客のオーダーが流れる別レーンをどんどん流れてゆく。つまり、客がおじさんが食べたネタを次から次へと注文しているのだ。しかもそのラッシュはなかなか終わらない。

おじさんの話、本当だったんだ。

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