その日、僕は大きなスクランブル交差点にいた。
青信号に変わると、群衆が一斉に動き出す。まるで波のように人が押し寄せ、すれ違い、散らばっていく。
そんな中、僕はふと足を止めた。
向こう側から歩いてくる一人の女性と目が合ったのだ。
一瞬、時間が止まる。
彼女の表情には驚きが浮かんでいた。僕も、きっと同じ顔をしていたと思う。
知らない人なのになんだか懐かしい。
「……あなたは誰?」
口に出す前に信号が点滅しはじめた。
次の日も、僕はスクランブル交差点を渡った。
そして、また彼女とすれ違った。
彼女もまた足を止めていた。
「……わたしを知っていますか?」
声をかけるべきか迷っていると、彼女の方が先に言った。
「どこかで会ったことがある?」
僕は頷いた。でも、思い出せない。
「でも、そんなのおかしいですよね」
彼女は少し笑った。
僕は彼女を知っている。確かに知っている。
でもどうしても思い出せない。
その日から、奇妙なことが続いた。
街中で彼女を見かける。
カフェの窓越し、本屋のレジ、電車の向かいの席——偶然とは思えない頻度で。
そのたびに、僕たちは目を合わせる。
だが、話しかける勇気は出なかった。
ある夜、夢を見た。
僕は暗い森の中にいた。
目の前にはあの彼女がいた。そして泣いていた。
「ごめんなさい……わたし、きっとまた……」
「また?」
僕は手を伸ばす。でも、彼女は霧の中へ溶けるように消えてしまった。
次の瞬間、目が覚めた。
僕は確信した。さっきの夢は夢だけれど現実なんだ。
翌日、僕はスクランブル交差点で彼女を待った。
そして、彼女もまた僕を待っていた。
「ねえ」
僕が声をかけるより先に彼女が言った。
「私たち、きっと前にも会ったことがある」
僕は頷いた。
「でも、それだけじゃない気がする」
彼女も頷いた。
「確かめてみない?」
「……そうしよう」
次の瞬間、信号が点滅する。僕は思わず彼女の手を取った。
信号が赤に変わる前に——。
彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐ何かに思いいたったようにさみしそうに笑った。
スクランブル交差点を同じ方向へ走ろうと一歩を踏み出した瞬間——世界が少しだけ歪んだ。
気づくと僕は暗い森の中にいた。目の前には彼女がいた。
「……やっぱり」
彼女は困ったように笑った。
「わたしたち何度もここに戻ってきてる」
僕は頷いた。
「何度生まれ変わっても出会って、ここに戻っている。お互いを……縛りあっていたみたいだ」
何の因果だったろうか。すでに記憶は遠く濃霧の中にあるようにおぼろげだ。僕は彼女の手を握りしめた。
「これで――最後にしようか」
彼女はゆっくりと頷いた。
そして二人背中合わせに立つと霧の中へと歩き出した。遠くから歩行者信号が青になったときの音がしている。僕たちはただすれ違っただけの他人のようにそれぞれ交差点の対岸にたどり着いた。
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