夏になると祖母が手作りのわらび餅を作ってくれた。
冷たい井戸水で締めたそれは、ぷるんと透き通り、きなこと黒蜜がたっぷりかかっていた。口に入れると、まるで澄んだ水のかたまりのように清らかな味がする。
「おばあちゃんのわらび餅って、なんだか夢みたいな味がするね」
そう言うと、祖母はにっこり笑った。
「夢みたい、かねえ」
祖母は毎年、変わらぬ味を作り続けていた。
しかしその年、わらび餅を一口食べた瞬間、妙な違和感を覚えた。確かに味は変わっていない。でもふと窓の外を見ると、庭の木が一本なくなっている気がした。いや、気のせいかもしれない。胸の奥がざわざわとした。何か忘れていたことを思い出すときのような感じだ。
また一口。
今度は、家の柱にあったはずの傷が消えていた。幼い頃、転んでつけた傷跡だ……ったと思うが。
「おばあちゃん、この家、少しずつ変わってない?」
そう尋ねても、祖母は「……気のせいじゃろう」と笑うばかり。
しかし、その違和感は次第に確信へと変わっていった。
わらび餅を食べるたび、何かが消えている。
庭の花、古い写真、祖母が編んだ座布団——。そして気づいた。
祖母の指先が透き通っている。
——まさか。
恐る恐る、祖母に尋ねた。
「おばあちゃん、わらび餅を食べると、何かが消えるんじゃないの?」
祖母は少しだけ寂しそうな顔をして、それでも穏やかに微笑んだ。
「そうかもしれんね」
「どういうこと?」
「……ずいぶんと長く生きてしまったもんじゃ」
祖母は静かに遠くを見ている。
「わしは、この家の一部みたいなもんじゃからね」
祖母自身がわらび餅を一口食べた。そして優しく微笑む。
一人、山のひらけた場所に立っていた。ざあっと風が吹き、草が波のように揺れてゆく。
祖母もいない。家もない。ただの空き地。そういえば最初からそうだったような気もする。そうだった――。今、思い出した。
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