#087 祖母のわらび餅

ちいさな物語

夏になると祖母が手作りのわらび餅を作ってくれた。

冷たい井戸水で締めたそれは、ぷるんと透き通り、きなこと黒蜜がたっぷりかかっていた。口に入れると、まるで澄んだ水のかたまりのように清らかな味がする。

「おばあちゃんのわらび餅って、なんだか夢みたいな味がするね」

そう言うと、祖母はにっこり笑った。

「夢みたい、かねえ」

祖母は毎年、変わらぬ味を作り続けていた。

しかしその年、わらび餅を一口食べた瞬間、妙な違和感を覚えた。確かに味は変わっていない。でもふと窓の外を見ると、庭の木が一本なくなっている気がした。いや、気のせいかもしれない。胸の奥がざわざわとした。何か忘れていたことを思い出すときのような感じだ。

また一口。

今度は、家の柱にあったはずの傷が消えていた。幼い頃、転んでつけた傷跡だ……ったと思うが。

「おばあちゃん、この家、少しずつ変わってない?」

そう尋ねても、祖母は「……気のせいじゃろう」と笑うばかり。

しかし、その違和感は次第に確信へと変わっていった。

わらび餅を食べるたび、何かが消えている。

庭の花、古い写真、祖母が編んだ座布団——。そして気づいた。

祖母の指先が透き通っている。

——まさか。

恐る恐る、祖母に尋ねた。

「おばあちゃん、わらび餅を食べると、何かが消えるんじゃないの?」

祖母は少しだけ寂しそうな顔をして、それでも穏やかに微笑んだ。

「そうかもしれんね」

「どういうこと?」

「……ずいぶんと長く生きてしまったもんじゃ」

祖母は静かに遠くを見ている。

「わしは、この家の一部みたいなもんじゃからね」

祖母自身がわらび餅を一口食べた。そして優しく微笑む。

一人、山のひらけた場所に立っていた。ざあっと風が吹き、草が波のように揺れてゆく。

祖母もいない。家もない。ただの空き地。そういえば最初からそうだったような気もする。そうだった――。今、思い出した。

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