深夜に洗濯物を抱えてコインランドリーに入ると先客がいた。こんな時間に人と鉢合わせるのはめずらしい。
男は椅子に座り、手元のスマホをぼんやりと眺めていた。年齢は30代後半くらい、やや痩せた体型で、無精ひげが伸びている。
僕は洗濯機に服を放り込み、回し始めた。静かな空間に、ゴウンゴウンと回転音が響く。深夜のコインランドリーは、どこか現実感が薄れる。
「この時間、あんまり人来ないですよね」
男が不意に話しかけてきた。
「ええ、まあ。だからこそ、落ち着いて洗濯できますけど」
「わかりますよ。でも……こういう時間帯って、変な話を聞くことも多くてね」
僕は興味を引かれた。
「変な話?」
男は少し笑い、静かに語り始めた。
「ここ、昔は別の建物だったんですよ。確か、雑貨屋か何かだったはずで……でも、ある時火事で焼けたんです。その火事で、一人亡くなったって話を聞いたことがある。放火じゃないかって。でも犯人は捕まってないし」
「マジですか?」
男は頷いた。
「でね、その後コインランドリーになってから、たまにおかしなことがあるらしいんですよ。深夜、誰もいないはずなのに乾燥機が勝手に回るとか、使っていない洗濯機の中から水が滴っているとか」
背筋が少し冷たくなる。
「気味が悪いですね。でも、そんな話って、どこのコインランドリーにもありそうじゃないですか?」
わりと怖がりな僕はあえて明るい口調で言う。
「まあ、確かにね。ただ……この話を聞いたら、誰もが確認したくなるらしいんですよ。『今、動いてる洗濯機は何台ある?』って」
その言葉を聞いた瞬間、ゾクリとした。
「え?」
気になって周囲を見回す。
洗濯機が一台回っている。僕の洗濯物——それだけだ。
「あなたの洗濯ものは?」
無意識に尋ねた。
男は少し首をかしげた。
「俺は、ずっと待ってるんですよ」
その時、僕は気づいた。
この男が座っている場所の近くには、洗濯機がない。彼の洗濯物がどこにもない。
「――い、一体何を待っているんです?」
ゴウン、ゴウン、と洗濯機の音がやけに響く。
目を逸らして、もう一度彼を見る。
——そこには、誰もいなかった。
椅子は、空っぽだった。
#095 真夜中のコインランドリー

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