勇者エリックは、血まみれの剣を握りしめ、玉座の間に立っていた。
目の前には、ついに追い詰めた魔王ヴァルゼード。
長きに渡る戦いに終止符を打つ時が来た。
「ついに貴様を倒す時が来たぞ、魔王!」
エリックは剣を構える。
魔王は深いため息をつき、玉座にもたれかかった。
「……お前は本当に愚かだな、勇者よ」
「何?」
「俺を倒せば、この世界は滅ぶぞ」
エリックは一瞬、眉をひそめたが、すぐに嘲笑った。
「そんな脅しに乗ると思うのか? お前は世界を闇に染めた邪悪の化身! 貴様が消えれば、人々は救われる!」
「……ならば、聞け」
魔王はゆっくりと指を鳴らした。すると、壁にかかっていた巨大な魔導装置が動き始め、映像が浮かび上がる。
そこに映っていたのは、各地の町や村の様子だった。
エリックは驚いた。そこに映る人々は、楽しそうに暮らしていたのだ。
「これは……?」
「これが、俺の支配する世界の現実だ」
「バカな! 魔王軍に支配された町は、血にまみれているはず!」
「お前はそう聞かされていたのだろうな。だが、それは事実ではない」
魔王はゆっくりと立ち上がる。
「俺はこの世界の均衡を保っていたに過ぎん。俺の存在が人間を戦の苦しみから守っていた」
エリックは信じられなかった。だが、魔王の言葉には妙な説得力があった。
確かに、魔王軍が侵略したという町でも、そこまで悲惨な状況を見たことはない。いや、むしろ――国からの税に苦しんでいた? しかしそれは魔王討伐のための軍資金のはず。
「お前たち人間の王が、俺を“悪”に仕立て上げ、民衆を操っていたのだ。勇者よ、お前はただの駒に過ぎん」
「嘘だ……」
エリックの手が震えた。今さら信じられるだろうか? 王国の賢者たちは、魔王が世界を破滅させる存在だと言っていたのだ。
「かわいそうに。いつの世も老獪な大人が若者を食い物にする。魔王討伐といって死んでいったのは誰だ? お前のように子供といっても差し支えない若い兵ばかりだったろう?」
「なぜ……そうと知りながら、俺と戦ってきた?」
「……俺が生きている限り、人間たちは団結し、人間同士の争いを避ける。だが、俺が倒されれば、王たちは新たな敵を求めて戦争を始めるだろう。しかしそれは俺たち魔族とて同じこと。つまり――お前とは両者の平穏のため戦い続けなければならなかった。しかしそれもここで終わりだ」
魔王はわずかに笑った。
「本当の地獄は、俺がいなくなってから始まる」
その瞬間、エリックの脳裏にある光景がよみがえった。
王国の貴族たちが、魔王討伐の後の領地分配について議論していたこと。
戦争の予感に活気づく武器商人たちの笑顔。
勇者として祭り上げられながらも、どこかで感じていた違和感。
「……お前の言うことが本当なら、俺は……」
エリックの剣が、力なく床に落ちた。
その瞬間、城の外で歓声が上がった。
「勇者が魔王を討ち取ったぞ!」
「ついに世界が救われる!」
兵士たちが城内に突入してくる。
エリックは反射的に振り向いた。
だが、次の瞬間――
「――俺は”悪”だ」
魔王ヴァルゼードは自らの胸にエリックの剣を突き立てた。
「これでいい……お前は、英雄であり続けろ……」
兵士たちが城に駆け込んできた時、そこにあったのは倒れた魔王と、剣を握る勇者の姿だった。
「勇者エリック万歳!」
「魔王討伐の英雄だ!」
民衆の歓声が響く中、エリックはただ呆然と立ち尽くしていた。
――その後、戦争が始まった。
領土をめぐり王国の勢力争いが激化し、人間同士の戦いが続いた。国々は互いに裏切り、殺し合う。人々は殺戮の中を逃げまどい、弱い者から次々と死んでいった。
そんな中、新たに「魔王」と呼ばれる存在が生まれる。
その男の名は――勇者いや、魔王エリック。
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