#104 本棚の迷路と本棚の住人

ちいさな物語

カズキは、ふと目についた古本屋に立ち寄った。

「こんなところに本屋なんてあったっけ?」

それは駅前の路地裏にひっそりと佇む店だった。木製の看板にはかすれた文字で「迷文堂」と書かれている。

店内に足を踏み入れると、微かにインクと紙の匂いが鼻をくすぐった。本好きにたまらない瞬間だ。

カズキは適当に本棚を眺めながら、店の奥へと進んでいく。しかし、気がつくと、棚の配置が先ほどとは違っているように感じた。

「……ん?」

振り返ると、入口が見えない。そんなに奥に入っただろうか。どういうわけか、さらに奥へ続く通路が広がっている。

まるで、棚が勝手に動いているようだ。カズキは少し怖くなり戻ろうとした。しかし、どこをどう進んでも、さっきいた場所に戻れない。何だか薄暗い。

そのとき——。

「……あれ?」

本棚の奥に気配を感じた。

誰かがいる?

恐る恐る近づくと、一冊の本が床に落ちていた。拾い上げてみると、表紙には奇妙なタイトルが記されていた。

『ここにいろ』

カズキの背筋が凍った。まるで自分対するメッセージのように見える。

ふと視線を上げると、本棚の隙間から、何かが覗いていた。

——目だ。

黒く、大きな瞳が、じっとこちらを見つめている。

「……だ、誰?」

カズキが震える声で問うと、本棚の後ろからゆっくりと姿を現した。それは痩せた青年だった。

「……出られなくなったの?」

「え?」

「僕も最初はそうだった。気がついたら、この本屋の中にいて……出口を探してるうちに、ここに住みつくことになったんだ」

「住みつく……?」

「うん。この本屋はね、読書好きな人間を気に入ると、閉じ込めちゃうんだ」

そんなこと、ありえるだろうか。

「……どうやったら出られる?」

「うーん……出られる人もいるけど、出られない人もいるみたい。たぶん、本棚次第」

「冗談だろ……?」

「まあ、気楽に考えたほうがいいよ。ここには、面白い本がたくさんあるし。どういうわけか腹もへらない」

青年は笑いながら、一冊の本を手渡してきた。

『本の楽園』

カズキは背後の棚を見た。いつの間にかまた本棚の配置が変わっていて、青年の姿が見えなくなっていた。

『この本屋に入る者は本の一部となる』

そう記された一冊を手に取った瞬間、カズキの視界が暗転した。

——彼が次に目を覚ましたとき、そこはやはり、果てしない本棚の迷路の中だった。夢ではなかったのだ。

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