#109 終演後の笑い声

ちいさな物語

売れない芸人の吉村は、漫才師として最後のチャンスを掴もうと、地方の古い劇場にやってきた。その劇場は「必ず笑いが取れる」というジンクスで知られていたが、どこか陰気な雰囲気が漂っていた。

「どんなネタでも笑いが起こるなんて、ウソだろ」
相方の健太がつぶやいたが、吉村は「今日こそ成功する」と前を向いた。

ネタが始まると、思った以上に観客が笑ってくれる。小さなボケでも大きな笑いが起こり、二人は次第に自信を取り戻していった。公演が終わる頃には、劇場は拍手喝采で包まれた。

終演後、支配人が二人に声をかけてきた。
「素晴らしい舞台でしたね。ただ、一つだけ忠告です。劇場を出る前に、決して客席を覗かないでください。」
奇妙な警告に戸惑いつつも、二人は楽屋で片付けを始めた。しかし、ふとした瞬間、吉村は遠くから笑い声が聞こえるのに気づいた。

「まだ誰か残ってるのかな?」

健太が不安げに呟いたが、吉村は気になってついつい客席の方へ足を運んでしまった。

暗い劇場の中、客席には薄明かりが差し込んでいた。誰もいないはずなのに、座席の一部が揺れているように見える。そしてその揺れる座席から、低い笑い声が漏れていた。

目を凝らすとそこには半透明に明滅する何かが座っている。公演中の観客とは異なる、顔の形すら判別できない人影だった。それが明らかに吉村の存在に気づいたようにこちらを向いた。顔の辺りが真っ黒い穴のようにうごめいている。
 
「面白かったよ。次も期待してる。」
 
黒い顔をもぞもぞと動かしてそう囁くと人影はふっと消えた。

吉村は青ざめた顔で楽屋に戻り、健太に「すぐ帰ろう」と促した。しかしそれ以来、吉村はあの笑い声が頭から離れなくなった。どんなに普通の会話をしても、あの笑い声が聞こえるのだ。

彼はその後、精神的な不調により芸人を引退せざるをえなくなった。ところが辞めたとたんにそれは回復したのだ。要するにアレはそういったものだったのだろう。劇場では今でも「笑いが取れる劇場」と若手芸人の間で噂になっているという。

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