#136 事故物件専門不動産屋

ちいさな物語

「どんな事故物件でも取り扱っております」

そう掲げた小さな不動産屋に、またひとり奇妙な客が現れた。細身で色白、瞳の奥に妙な光を宿した男。彼は入ってくるなり、まっすぐ店主・長谷川を見つめて言った。

「事故物件、できるだけヤバいやつを」

長谷川は慣れた調子で微笑んだ。

「もちろんございますとも。当店は、業界でも随一のワケあり物件を多く取り扱っております」

男は即答する。

「普通のじゃダメなんだ。もう何軒も経験してる。首吊りの部屋も、一家心中も、謎の異臭も……全部、通った」

長谷川の目がわずかに細くなる。相手が本物かどうか、見極める時だ。「本物」のリストは「本物」にしか見せられない。長谷川にとって冷やかしやにわかの客を見極めるのは容易かった。
なぜなら本物は目が完全にいってしまっているからだ。まともな精神でいわくつき物件に住みたい人はいない。もちろん怪談ブームなどにのって興味本位でのぞきにくるヤツらはいるが、それにはそれ用のリストがある。本当にヤバい物件は紹介しない。

「では……」彼は机の奥、鍵のかかった引き出しから、一冊の古びた手帳を取り出した。こいつは本物だ。

「こちらは、裏のリスト。ここにある物件は、何かが『まだいる』場所です。ご存知とは思いますが、命の保証はいたしかねます。それと、スタッフが危険にさらされますので、内見等はできません」

男は目を輝かせて「それだ。それだ」と、身を乗り出した。長谷川はページをめくりながら、いくつか紹介する。

「あるマンションの一室。深夜3時、必ずノックされる。でもカメラには何も映らない」

「……他には?」

男はやや拍子抜けといった様子で顔をくもらせる。

「壁の中から『助けて』という声が聞こえる。こちらは築30年の戸建てです」

男は無言で先をうながす。こちらもあえて軽いさわりしか伝えていない。なぜなら言葉にするだけで障るものもあるからだ。

「地下室のある古屋敷。中に入ると全員が同じ言葉をつぶやくようになる。『まだ足りない』。最後の入居者は、それを壁一面に書いて、消えた」

男の唇がゆっくりと弧を描いた。

「それにする」

長谷川は古びた鍵を差し出した。「ご武運を」

数日後、長谷川は様子を見にその物件へ向かった。扉は半開き。中に入ると、そこには男の姿も荷物もなかった。まるで最初から誰も住んでいなかったかのように、静まり返っている。

けれど、部屋の奥——壁の隅に、見覚えのない新しい言葉が刻まれていた。
「まだ足りない」その下に、かすれていたが確かにこうあった。「お前も来い」一瞬、背筋が冷たくなる。それでも長谷川は冷静だった。

どうやらまたこの物件の方が一枚上手だったようだ。長谷川としても「商品」がなくなるより、箔が付いた方がありがたい。しかし一応人の心くらいは持っている。

彼はゆっくりと鍵を閉め、ポケットから手帳を取り出す。そして、ペンを走らせた。新たな一行を裏のリストに追加する。

◆ 屋敷A-17:最後に住んだ者、失踪。壁に新たなメッセージ。
【備考】:まだ求めている。

静かに手帳を閉じ、長谷川は空を見上げた。どうも雲行きがあやしい。降り出すかもしれない。

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