あの日、ペットショップの片隅で一匹の犬と目が合った。いや、目が合ったというより、あまりにも気になって目が離せなかった。
なにせその犬はとびきりブサイクだったのだ。鼻は潰れたように低く、目は変に離れている。耳も両方が変な方向に折れていて、足の長さも絶妙にアンバランス。
「ぶっさいくだなあ…」
思わず声に出したその瞬間、犬がまさかの反撃。
「おい、誰がぶさいくだ!」
僕は思わず周囲を見回した。犬以外誰もいない。いやいや、まさか犬が喋るなんて――。
「お前だよ、お前。ちょっとよく見てみろ」
確かに犬が喋っている。ぶさいくな犬が喋っている。もう脳が追いつかない。
「ふん。さえない感じだな。まぁ、いいや。飼ってくれたら幸運を授けてやろう。――このままでは殺処分らしい」
犬は偉そうに胸を張ってそう言った。
「は? そりゃ気の毒だが、なんで僕が?」
犬は堂々とした表情で答える。
「幸運が欲しくないのか?」
僕が当然、幸運を手にする選択肢を選ぶと微塵も疑っていない。――そうなると、つい状況に流されてしまう。
そんなこんなで、勢いに任せてその犬を飼うことにした。名前は『ブサ太郎』と命名。もちろん抗議は無視した。
ところがこのブサ太郎、家に連れてきた瞬間からめちゃくちゃ態度がでかい。
「飯はまだか? 俺はあの乾いてカリカリしたもんは食わんぞ」
「散歩の時間だ。ぐずぐずするな」
「撫で方がド下手。この初心者め!」
とにかく生意気すぎて手を焼く。散歩中の周囲の人の反応もなかなかすごい。
「あら、まあ……個性的なワンちゃん」
「その、ずいぶんと……めずらしいお顔立ち」
皆が必死にオブラートに包んで褒めようとしているのを横目に、ブサ太郎は得意げだ。
「しかも幸運を授けるからな!」
確かに、ブサ太郎を飼い始めてから、小さな幸運が続いた。例えば、コンビニの買い物の合計額が777円だったり、渡ろうとした信号が全部青で目的に早く着いたり、スマホを落としたと思ったら完全に無傷で戻ってきたり……。
「これがお前の言う幸運か?」
と聞くと、ブサ太郎は鼻を鳴らして答えた。
「小さな幸運を馬鹿にするな。人間は大きな幸運にはすぐに慣れちまう。宝くじが当たって金持ちになっても、贅沢な暮らしなんてすぐに飽きるもんだ。毎日毎日、自分は運がいいなと感じることが大切なんだよ」
ぶさいくなくせに案外、ビジネス書に書いてそうなことをいう。確かにそれはいう通りなのかもしれないが、もたらされる幸運はあまりにも地味に感じた。
そんなある日、ブサ太郎と公園を散歩していると、一人の女性が近寄ってきた。
「あの、可愛い犬ですね!」
初めて「可愛い」と言われたブサ太郎は舞い上がり、僕を無視して女性の足元にすり寄った。
「素敵な犬を飼っているんですね」
女性が僕に微笑んだ。こんな美人に話しかけられるなんて、ブサ太郎のおかげ?
しかしブサ太郎がかわいいなんてとんでもない趣味をしてるな。
ブサ太郎は僕を見上げ、ドヤ顔で言った。
「どうだ。俺様パワー!」
その後も公園を散歩すると、何度かその女性とに会うことがあった。そのたびに他愛もない会話を交わすうちに仲良くなり、なんと今度デートすることに。
「お前のおかげかもな、ブサ太郎」
そう言うとブサ太郎は満足げに答えた。
「だから言っただろ? 俺様を飼えば幸運が訪れるってな!」
翌日、ブサ太郎がこっそり耳打ちしてきた。
「実はな、本当の幸運ってのは『気づき』なんだぜ。小さいことにも幸せを感じる心、その謙虚な心に惹かれて人が集まってくる。人が集まるとさらに幸運が舞いこんでくる。俺がやったのは初めの歯車をまわしただけのことなんだ。このことを絶対に忘れるなよ。小さな幸せを感じる心をなくした途端に人は去っていくからな」
犬のくせに哲学的なことを言っているが、妙に納得してしまった。僕はブサ太郎と出会って、確かに毎日が楽しくなった。いつの間にかクセになっていた仕事の愚痴も、上司の悪口も言わなくなっていたし、ちょっとしたときに話ができる同僚たちも増えている。
相変わらずぶさいくで態度はデカいが、この犬と過ごす日々は確かに悪くない。
ブサ太郎は今日もふてぶてしく、得意げな顔で僕を見上げる。
「ほら、俺様に感謝して、新鮮なササミをやわらかくゆでてフードにのせて出せ。パサパサになってたら食わないぞ」
まったく、なんてぶさいくで可愛いヤツなんだろうか。
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