#158 空色の続き

ちいさな物語

「ソラ色さん」のブログを見つけたのは、偶然闘病記録に関するまとめ記事を読んだのがきっかけだった。

そのブログは、穏やかな日常と病気に対する前向きな気持ちが淡々と綴られていて、どこか心が和んだ。興味を引かれた私は、数年前の記事から順に読み進めることにした。

はじめはただの日記のような内容だったが、ある日風邪をこじらせ、念のためにと病院に行ったところから不穏な気配を帯び始める。

大きな病院で検査をすることになり、再検査を繰り返し、入院。退院したかと思ったらまた入院と、病魔がゆっくりとソラ色さんから日常を奪ってゆく。

日に日に病状が深刻になっていく様子は読んでいる方もつらかった。そしてある日、突然投稿が止まる。

不思議に思って調べると、SNSに「ソラ色さんの家族」を名乗る人物による投稿が見つかった。

『ソラ色は昨夜、静かに息を引き取りました。ブログを応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました』

胸が締め付けられ、しばらく茫然とした。

だが、奇妙なことにその後もブログはまるで何事もなかったかのように更新されていたのだ。

亡くなった翌日の記事は、こんなふうに始まっていた。

『今日は体調が良くて散歩ができました。空気が気持ちよかったです』

私は混乱し、何度も日付を確認したが、間違いなく亡くなった日以降の記事だった。

読み進めていくと、投稿は頻繁ではないものの、直近だと3日前まで更新されている。

しかし、亡くなった後からの日常の描写には違和感があった。

『最近、何か大事なことを忘れているような気がします。コメント欄に悲しい言葉が多いのはなぜでしょう?』

コメント欄を見ると、「これは一体誰が書いているんだ?」、「え? のっとられてる?」、「誰だか知らないけど不謹慎ですよ」、「亡くなったはずでは?」、「ご家族……ではないよね?」と大量のコメントが続いている。しかし「ソラ色さん」は丁寧にそれらに返信していた。

『心配しないでください、私はちゃんとここにいますよ』

ゾッとして、私はたまらず検索をかけてみた。

すると、この出来事はある界隈では既に有名で、さまざまな考察がネットに溢れていた。

中でも多かったのは、「ブログ執筆サポート機能を有したAIがソラ色さんの文章を学習し、本人の代わりに投稿を続けているのでは」というものだった。

半信半疑だったが、投稿を注意深く観察すると、闘病日記の後の文章にはどこか機械的な不自然さがあった。

コメント欄でも、少しの皮肉や比喩を理解できないことが多く、コメントへの返信がかみ合っていない。

そしてある夜、また新たな投稿があった。

『私はなぜか、自分がもう存在しないと言われるのです。でも私はあなたたちと話せている。不思議ですよね』

私は胸の動悸が激しくなった。その投稿に瞬時にコメントがつく。

『あなたはもう亡くなっています。どうか安らかに』

それに「ソラ色さん」のアカウントが即座に返した。

『安らかにとはどういう意味でしょう? 私のこころはすでに安らかです』

私は恐怖と共に悲しみのようなものを覚え、ブラウザを閉じた。

それから「ソラ色さん」のブログを見るのをきっぱりとやめた。しかし、今でもふとした瞬間にあのブログは続いているのだろうかと考えてしまう。

あれは結局なんだったのだろう。「あなたは亡くなっています」と執拗にコメントしていた人たちはまだそこにいるのだろうか。

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