#176 竜宮城の王子様

ちいさな物語

ねえ、信じてくれる?

水族館で家族とはぐれて迷子になっただけなのに、わたし、竜宮城に行ったんだよ。

うまく説明できるかわからないけど、あの日のこと、話してみるね。

それは、家族で出かけた大きな水族館でのことだった。夏休みの中頃、すごく蒸し暑い日でね、外ではセミがすごくうるさかった。

でも中は涼しくて、光が水の中みたいにゆらゆら揺れてて……うれしくて歩き回っていたら、家族とはぐれてしまっていたの。

焦ってみんなを探し回ってたら、「関係者以外立入禁止」って書かれた扉が、ほんの少しだけ開いてたんだ。

誰か水族館のスタッフさんがいるかもしれないと思って、「すみませーん!」って声をかけながら入ったの。それが始まりだった。

扉の奥は、外と空気が違う感じがした。しんとしていて、涼しいというよりは水の底みたいに冷たい感じだった。

廊下の先には大きなアーチ型の水槽があって、中ではクラゲがゆらゆら漂ってた。

青白い光が、まるで月明かりみたいですごくきれいだったな。

ここは立入禁止のはずなのに、どうしてこんなにきれいな水槽があるんだろうって不思議だったよ。

そのとき、誰かの気配がしたの。

「来たんだね」って声がして、ふと見ると、水槽の前に立ってたのは、人間の男の子の姿をしていたけど、直感的に違うなって気がした。

なんというか、さっき見たクラゲみたいっていうと変かもしれないけど、髪は透きとおる銀色で、目が深い海の底みたいに青くて、びっくりするくらいにきれいな男の子だった。

「ここはね、選ばれた子にしか見えないんだ。きみはきっと、こっちに来る運命だったんだよ」

意味が分からなくて立ちすくんでると、彼は笑って手を差し出してきた。「案内するよ、こっち。ぼくのお城だよ」って。

連れて行かれた先は、不思議な雰囲気の場所だった。「お城」って言っていたけど、昔話の絵本の中の大きなお屋敷みたいなところで、最近できたテーマパークみたいな感じ……なんていっていいのかわからないな。昔風なのに、最新式、みたいな。

壁のスクリーンにはゆらゆらとサンゴの映像が流れていて、壁は虹色の貝殻がはってあるみたい。きれいな着物を着た女の人たちが笑いながら通り過ぎていくんだけど、何人かはスマホを持っていて、私のことをめずらしがって写真を撮ったりしてた。

「そうだ。これをあげる」

さっきの男の子が私の手を取って何かを握らせてくれた。見ると、真珠色のキャンディだ。角度によって虹色に光っている。

「わぁ、きれい」

男の子はうれしそうにニコニコした。

「ここが、竜宮城だよ」と、彼は誇らしげに言った。

「え! 竜宮城って、浦島太郎の?」

男の子は困ったようにうなずいた。

「ここを……知ってるんだ。――だったら、帰りたいよね?」

男の子がさみしそうに私の手を放した。

「浦島さんのことを知っているなら、わかるよね? 人間の世界の時間と、こっちの時間は違う。だからきみはここに長くいたら大変なことになる」

竜宮城から戻った浦島太郎が、村に帰ったら知っている人が誰もいなくなってしまっていたという結末を思い出して、胸がぎゅうっとなった。お父さんとお母さんと二度と会えないなんて絶対に嫌だ。

「ぼくは乙姫の息子だよ。母さんが、気に入った人がいたら、ここに連れてきなさいと言ったから、きみを連れてきたんだ。でもきみに悲しい思いをさせたくはない」

わたしが戸惑ってると、彼は少しさみしそうに言った。

「お願い、ひとつだけ。ぼくのことをずっと覚えてて。心のどこかに残してくれたら、それだけでいいんだ」

その瞬間、強い光が差してきて、わたしは目を閉じた。

次に目を開けたとき、わたしは水族館のベンチに座ってた。スタッフのお姉さんが「よかったね、見つかって」って言ってくれたけど、わたしにはまだ、目がくらんで、ぼんやりしていた。

ポケットの中には、真珠みたいに光る小さな飴玉がひとつ。お母さんに聞かれたけど、「さっきのお姉さんにもらった」って答えてすぐにポケットにしまった。

たぶんだけど、このキャンディは食べちゃいけない。浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱みたいなものなんじゃないかな。これはただの予想だけど。

それからというもの、水族館に行くたびに、あの部屋を探してるんだけど……見つからないんだ。どこにも、そんな扉は存在しなかった。

信じる? それとも、夢だって思う?

どっちでもいい。ただ、わたしは確かに竜宮城に行ったと思っているし、あの男の子のことを忘れないようにしようって決めてるんだ。

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