その町には、「小さすぎるドア」があった。
壁のように広がる白い建物の中央に、子どもでも肩をすぼめなければ通れないほどの、異様に狭い扉。
誰もその先を見たことがない。なぜなら、その町に暮らす人々は、みなとても大きかったからだ。
大きい——それは体格のことだけではない。声は大きく、態度も、食事も、欲望も、何もかもが大きすぎるのだ。
その町では、「大きいことはいいことだ」が信条だった。
レストランではバケツサイズのジュースが出され、ベッドは車のように広く、ソファは人を包み込むように沈み込む。
彼らは言った。
「小さなものは、弱い。価値がない。すぐ壊れる。」
けれど、その「狭すぎるドア」だけは、誰も壊そうとしなかった。
なぜなら、それがかつて選ばれた者のために作られたものだという古い伝承が残っていたからだ。
町の図書館には、そのドアについての断片的な記述があった。
《選ばれし者は、すべてを脱ぎ捨て、あの門をくぐる。そして、もう戻らない。だが、その魂は、町に“かたち”を与える》
誰も意味が分からなかった。なにしろ町の住人たちは、何も脱ぎ捨てたことがなかったのだから。
ある日、一人の男が現れた。
名前はマックス。だが、町の誰もが驚いたのは、その名ではない。
——彼の細さだった。
マックスは、笑うとあごの骨が浮き、歩くたびに服が風に踊った。彼は多くを食べず、静かに話し、慎ましく暮らしていた。
当然、町の人々は彼を嘲笑した。「そんなに小さくて、何ができる?」と。
だが、マックスは言った。
「わたしは、何も持たずにここへ来た。試してみたいんです」
彼は、あの狭すぎるドアの前に立ち、鞄を置き、靴を脱ぎ、服を脱いだ。最後に、自分の名前さえも、口からこぼして地面に捨てた。
——そして、通った。
町の誰もが見ていた。
マックスの体は、ドアに吸い込まれるように、音もなく消えた。そして、ドアはふたたび閉じた。
その瞬間、町に変化が起こった。
誰もが一斉に“重さ”を感じたのだ。心のどこかに、うっすらと、何かを持ちすぎているという感覚が生まれた。
翌日から、レストランのメニューが少しだけ小さくなった。ベッドもソファも、わずかに縮んだ。人々は、最初こそ不満を言ったが、次第にその「軽さ」が心地よくなっていった。
だが、一つだけ誰もが口にしないことがある。
それは、夜になると、あのドアの向こうからかすかに歌が聞こえること。それはとても静かで、小さくて、けれど不思議と心に残る旋律。
人々はその歌を聴きながら、少しだけ食事を残し、少しだけ声を抑え、少しだけ他人を気遣うようになった。
大きな町は、ゆっくりと“かたち”を変え始めている。
——あの、小さなドアの向こうで、すべてを脱ぎ捨てた男の歌に導かれて。
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