#196 理想の職場

イヤな話

「ここが、『理想の職場』だよ」

そう言われてドアを開けた瞬間、僕は思った。

……臭う。いや、においではない、雰囲気が臭う。なんだこれは。

「ようこそ新入り!」

金髪リーゼントでガムをクチャクチャしながら近寄ってきたのは、田中課長だ。初対面で肩パンされた。痛い。噂通りの滑り出しだ。

「コピー? あ、まだ使い方とかわかんないよな。オレがやっとくわー」

そう言って書類を引ったくったのは山岡主任。そのままトイレに消えた。30分後、コピーはされず、原紙は湿気て戻ってきた。何をやっていたんだ?

「この会話、すべて録音してるわよ」

向かいの席の進藤さんが目に涙を浮かべながら言った。どうしてまだ何も話してないのに録音されてるんだ。

「そのアイデア、素敵ですね! 僕も今、ちょうど同じこと考えてました!」

……彼は「部下の手柄は俺のもの、部下のミスは部下のミス」の橋山係長。

「ちなみにそれ、以前やりましたよね? なんでまた失敗するとわかってて? おもしろいよねー、きみ」

満面の笑顔で周囲の人の精神を破壊しているのは、原口副部長。

「で? お前、産業スパイじゃないよな?」

お茶を淹れてる僕にそう囁き、チワワのように震えているのは篠原部長。目はガンギマリ。こちらも思わず震えて、お茶がこぼれた。

「ちょっと言いづらいけど……この部署、潰れるって噂、知ってる?」

耳打ちしてきたゴシップメーカーの同僚佐野は、5分後には別の同期に「新人くんが君のこと悪く言ってた」と広めていた。

完璧主義者、ブラック上司、各種ハラスメントのトップ選手……残りのメンバーも粒ぞろいだ。

「みんな、才能があるんだ。ちょっと変わってるだけさ!」

と無邪気に笑うのは、我らが社長。笑顔が完全にサイコホラー。

僕は3日で辞表を出した。これは当初の予定通り。辞めると伝えたその日、社長が言った。

「残念だなあ。せっかく15人のワケアリ社員を1カ所に集めて、観察してたのに」

それを承知で見にきたんだよ、こっちは。

「一人で会社を潰せる実力を持つメンツだが、どうだ? 15人の力が拮抗して、我が社はすでに10年目を迎える」

やはり笑顔がサイコホラー。

「ええ、とても楽しい3日間でした。世の中は今、非常識なふるまいをすると、周りから総叩きにされて、社会的に消されるのが常です。こんなに自由にハラスメントを楽しんでいる人たちには、そうそう出会えませんからね」

社長は一瞬、ぐっと黙った。

「――いつの間にやら、世間はそこまでになっていたのか。では、きみは?」

「ええ、申し訳ないですが『観光目的』で入社しました」

怒られるかと思ったが、社長は盛大に笑い出す。

「なるほど。合点がいった。最近きみのように、入社して数日で辞めていく若者が多くてな。しかも、ボロボロになって辞めていくというより、遊園地の帰り道みたいな顔をして辞めていくんだ。これは盲点だった」

社長はひとしきり笑うと、またサイコパスめいた真顔に戻る。

「――また、いらっしゃい」

僕は少しぞっとして、会社を後にした。間違いなくこの会社で一番ヤバいのは社長だろう。

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