その町では、雪が降らない代わりに、雪があがるという。
最初にその話を聞いたとき、私は冗談か、あるいは詩的な比喩のようなものだと思った。だが、列車を降りたその瞬間、私はそれを目撃した。駅のホームで立ち止まり、思わず空を見上げた。
確かにそれは、地面から空に向かって、静かにゆっくりと舞い上がっていく雪だった。
「初めてですか?」
そばに立っていた老婦人が微笑みかけてきた。私は頷くことしかできなかった。
「ここでは、冬がくるたびに雪は空へと還ってゆくのですよ」
婦人の言葉はやわらかく優しく、まるで昔話の語り部のようだった。
滞在する宿に向かう道すがら、私は空を見上げ続けた。確かに雪は逆さまに舞い上がり、そのまま雲の中へ消えてゆく。不思議と寒さを感じることはなかった。
町の広場には、逆さまの雪を見るために多くの人々が集まっていた。
地面からぽこりと雪が生まれ、ゆっくりと空へ昇ってゆく様は幻想的で、思わず見とれてしまうような光景だった。雪というには大きすぎるかたまりもある。
かたわらでひとりの少女が立ち尽くし、泣いているのが目に入った。
「どうしたの?」
思わず声をかけると、少女は驚いてこちらを見上げた。
「雪が、わたしの願いを運んでいったの」
少女はそう言ってまた泣き出した。
「願い?」
私は少女に問いかける。すると少女は小さな指を空に向けて差した。
「わたしの願いを書いた手紙を地面に埋めていたの。雪がそれを見つけて空へ連れていったの」
私は思わず空を仰ぐ。どういうことだろうか。
「この町の雪は、誰かの忘れられた願いや想いを見つけては、そっと空へと還しているの。自分の願いがあがっていくのを見られるのは、わりとめずらしいことなのよ」
隣にいた女性が教えてくれる。
私は少女の肩に手を置いて、静かに微笑んだ。
「空が願いを受け取ったのなら、きっと叶えてくれる。泣かないで」
「でも、もしかしたら叶っちゃいけないお願いかもしれないの。だから怖くて」
少女は涙に濡れた顔で私を見上げた。
「どんなお願いなの?」
「パパが帰ってきますようにって。でもママは、パパは天国で幸せにしているから、困らせてはダメだって……。でも、でも、どうしても我慢できなくて、願いを埋めてしまったの」
私はぎゅっと胸が痛くなった。きっと叶うなんて安易に言ってしまったことを後悔した。
「心配しなくてもいいのよ」
先ほどの女性が女の子の目線に合わせてしゃがみこんだ。
「あなたがそういう気持ちでいるっていうことを、雪がパパに届けてくれるはずだから。しばらく会うことはできないかもしれないけど、パパには伝わるわよ」
翌日、私は町を発つ前にもう一度空を見上げた。
無数の願いを抱えて空に向かってゆく逆さまの雪は、どこか寂しくも美しい光景だった。
「あなたも願いを残していかれますか?」
宿の主人が優しく尋ねた。私は頷き、一枚の紙切れにひとつの願いを書き込んで地面に埋めた。
そして空を見上げる。
私の願いを抱き、静かに雪が舞い上がっていった。
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