深夜二時、急に甘いものが食べたくなって、近所のコンビニへ向かった。住宅街の端にある、小さな店。通い慣れた場所だった。
自動ドアが、いつもの電子音を立てて開く。けれど、妙だった。店員の姿が見当たらない。深夜ならバックヤードにいるかもしれない。この時間帯ならレジが無人でも不思議ではないか――と、納得して、アイスの冷凍ケースへ向かった。
だが歩いても歩いても、ケースにたどり着かない。
「……あれ?」
おかしい。コンビニは広くてもせいぜい二十歩くらいだ。なのに、十歩、二十歩、五十歩と歩いても、目的の棚が見えない。
棚は次々に現れる。おにぎり、パン、飲料水、カップ麺、雑誌。だが配置がどこかおかしい。まるでランダムにパーツをつなぎ合わせた壁のように、棚が続いている。
引き返そうと振り向いたとき、自動ドアが見えなかった。背後にあるはずの出入り口がない。そして、周囲は不自然なほど静かだった。よくある店内BGMもいつのまにか消えていた。冷蔵庫の低い唸り声すら聞こえない。ただ、自分の靴音だけが響く。
冷たい汗が背中を流れる。
「……とりあえず、店員さんを探そう」
自分に言い聞かせるように声を出して言った。声は、耳に届くまでに奇妙に間延びした。まるで速度を落とした動画の音声のようだった。
しかし進んでも進んでも、同じような棚ばかりが続く。
商品は確かに実在していた。手に取れば、冷たさも重みも感じる。パッケージも、製造日も、賞味期限もきちんと印刷されている。
ただ、中には妙に古いものも混じっていた。見覚えのない商品のパッケージ、知らない会社のロゴ、二十年以上前に消えたはずの飲料ブランド。
奇妙に思いながらもひたすらに前に進むと、棚と棚の隙間に細い通路を見つけた。そこには、小さな張り紙があった。
「お客様へのご案内 店内が広く感じられる場合は、慌てずスタッフにお声かけください」
冗談にしては悪質すぎる。
僕はさらに奥へ進んだ。
突然、レジカウンターらしきものが現れた。「よかった」と思ったのもつかの間、そこに立っていたのは、店員の制服を着た「何か」だった。
顔がなかった。
制服の中に、実態のない黒い影のようなものが、人間の形にわだかまっている。それは、もやもやとした指のようなもので、レジのボタンを無作為に押していた。
カタ、カタ、カタ。
まるで子供が「店員さんごっこ」をしているような、見様見真似という感じの動きだ。
恐怖が喉を塞ぐ。
そっと後ずさろうとしたが、黒い影はカウンター越しにこちらを向いた。目も鼻もないのに、「見られている」とはっきりわかった。
「……いらっしゃいませ」
無機質な声が、どこからか響いた。
無我夢中で棚の間を駆け抜けた。店がどこまでも、どこまでも続き、出口はない。
缶詰コーナー、雑誌コーナー、トイレの案内、また缶詰。世界がループしているようだった。
息が切れる。足がもつれる。後ろを振り向くと、黒い影が、すぐそこにいた。
「……いらっしゃいませ……いらっしゃいませ……」
次々に増えていた。
最初は一体だった黒い影が、今は十体、二十体、無数に増殖して、棚と棚の間を漂っている。
転んだ拍子に、ポケットの中から財布が落ちた。それを拾おうと手を伸ばす。そのとき、指先が床に開いた「穴」に触れた。
「こんなところに穴?」
なぜそうしようと思ったのかはわからない。僕はその穴に指をかけて、床を引き剥がすようにして穴を広げる。ぽろぽろと砂糖菓子のように簡単に床は崩れていった。そして、意を決してその穴に飛び込む。
目を開けると、外に立っていた。
コンビニの前、夜明け前のまだ薄青い空の下。煌々と輝く店の中を見ると、いつものコンビニだった。棚も狭く、レジには若いバイトらしき青年が眠そうに立っている。
僕は震える足で家へと歩き出した。
ポケットに手を突っ込むと、中にレシートが一枚、入っていた。
【ご来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております】
印字された日付は、2035年5月25日。 今から、十年後の日付だった。
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