ある朝、目が覚めると、枕元に小さな生き物が座っていた。
「きみは選ばれたんだよ! 今日から魔法少女だ!」
ぬいぐるみのようなその存在は、声だけは異様に力強い。ぼう然とする僕――ミラに、丸い手が差し出された。
「さあ、契約だ!」
契約書などなかった。気づけば、手の甲にはきらきらとした紋章が浮かび、ベッドの隅にはフリフリのドレスと杖が置かれていた。
僕は男の子だから、いつもズボンじゃないといけないと思っていた。だからお母さんにも言えなかったが、本当はきれいな色のふわふわのスカートや、リボンのついた洋服を着たかったのだ。
それに、いつか、どこかで、敵が現れ、かっこよく変身して、世界を守るんだという、使命感にもわくわくした。
僕は毎日、変身の練習をした。バルコニーで杖を振り、無意味に決めポーズを取った。友人にも秘密だし、学校でも普通に過ごしていたけれど、心の中ではずっとそわそわしていた。
でも――
敵は、現れなかった。一週間たっても、二週間たっても。
街は平和そのもの。子供たちは元気に走り回り、大人たちは退屈そうに通勤し、猫たちは昼寝をしていた。
「……おかしいなぁ」
あのぬいぐるみ(名前はティモというらしい)も、困った顔をしていた。
「もうすぐ来るはずなんだけどなあ」
何度もそう言っていた。
三ヶ月たった。
放課後、公園のベンチで変身して、ぐるぐるパトロールする。カフェのガラスに映る自分を見る。ピンクのフリルに金色のリボン。肩には羽根飾り。すごくかわいい。
時々、思う。もし本当に敵なんかいなかったら?
ティモに問いかける。
「ねえ、ほんとに敵っているの?」
ティモはしばらく黙った後、小さな声で答えた。
「……まだ人間なんだと思う」
「え?」
「本当は秘密なんだけど、とある人間が敵になるんだよ。その人間の心が壊れて、開発した魔法の力を使って他の人間に次々とひどいことをするようになるんだ。昨日の夜、もう一度計算をし直してみたんだけど、ボクがちょっと早く着いてしまったみたい。でも信じて。魔法少女の存在は必ず必要になる」
「うん。信じてるよ。でもその人が敵になる前に何とかすることはできないのかな……」
ティモはハッとした顔で僕を見る。
「そうだね。その手があるよね」
その夜、僕は窓辺でじっと月を見た。手の甲に浮かぶ紋章が、かすかに光る。まだ見ぬ「敵」を助けるために、今何ができるんだろう。
次の日も、街は静かだった。僕はいつものように変身し、パトロールに出た。公園で子供たちがバドミントンをしていた。おばあさんがベンチでうたた寝していた。犬がしっぽを振りながら、飼い主を引っ張っていた。
ティモがぽつりと言った。
「さて、探しに行こうか」
僕は微笑んだ。
「うん。未来の『敵』だよね」
僕は杖を振ってこたえた。
今、「敵」はまだいない。でも、いずれきっと、現れる。でも、その前にその「敵」を僕らは助けに行くんだ。
僕は今日も、魔法少女でいる。
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