あんたに話しておこうかね。
この村の話さ。もう、誰も覚えていないかもしれんけど、あたしゃちゃんと見たんだよ。忘れるもんかい、あんな人。
あれは、わしがまだ小娘だったころ――そうさね、戦のあとで、村にもやっと灯りが戻ってきたころだよ。
ある晩、山の向こうの空がふいに青白う光ってね。
稲妻でもなし、焚き火でもなし、静かで、まるで空そのものが一度だけ、目をひらいたようだった。
翌朝、村のはずれに男が立っとった。痩せて背の高い、ふしぎな男だったよ。
髪は銀に近い色で、服は継ぎがひとつもなくて、ぴかぴかで、やけに清潔だった。
目がね、まるで山の泉みたいに澄んでいて、けれどどこを見とるのか、わからなかった。
「旅の者です。すこし、滞在させていただけませんか」
そう言われて、誰かが断る気になれたかい。あんたも知っての通り、この村は客人はもてなすのが当たり前じゃ。ちょっとばかり見た目が変わっとっても、ほら、外人さんじゃと思うてな。
村の空き家を掃除して、そこに住まわせたのさ。
その男――名をリクといった――は、礼儀正しく、よく働くひとだった。
けれど、どこかおかしなことがいくつもあった。
朝になると、星を見ていた。朝なのに星を見ていると言うんだよ。わしらには見えやしない。
昼になると、畑の土に耳を当てて、何かを聞いていた。
夜には、ランプを持たずに、真っ暗な森の中をひとり歩いて帰ってきた。
質問をすれば、答えが変だった。
「どこから来たのかね?」
「西の、風が曲がる場所からです」
「風が……?」
「はい。風が、縦に降る場所です」
皆、ぽかんとするしかなかったよ。
けれども、畑を手伝えばどの作物もよく育ち、子どもが怪我をすれば、見たこともない香草で治してしまう。
不思議な出来事ばかりだったが、誰もリクを追い出そうとは思わなかった。
ある晩、わしはリクに聞いてみた。
「あんた、ほんとうは、どこから来たんじゃ?」
リクは笑った。けれど、それはちょっとだけ悲しい笑顔だった。
「ずっと昔にね、空を渡る舟が落ちたのです。私はそこから降りてきました」
「舟って、飛行機のことかね?」
「いいえ、それとは少し違います。……でも、似ているかもしれません」
「帰らないの?」
「帰りたいと思ったこともありました。けれど、今は、ここが好きです」
そう言って、リクは満天の星を見上げた。
「この星は、とても優しいですね。土が暖かい。水が甘い。生命体が……人が、話しかけてくれる」
わしは、なんだか胸がぎゅっとして、なにも言えなくなった。
リクは、三年だけこの村にいた。
村祭りでは太鼓を叩き、冬には雪かきをし、子どもたちと凧あげをして笑っていた。
でも、ある日、ふいにいなくなった。
朝起きたら、家はからっぽ。何の置き手紙もなかった。
けれど、不思議だったのは、家の中がどこも汚れていなかったこと。使っていたはずの鍋も布団も、まるで最初からなかったように、きれいさっぱり消えていた。
その夜、また空が光った。
こんどは音がした。
風でも雷でもない、音楽のような音だったよ。
聞いたこともない調べが、山を抜けて、村の屋根の上をすべっていった。
誰もそのことを語らなかったけど、みんな、気づいていた。
リクは帰ったんだ、と。
その後も、畑にはなぜか良い実がなったし、井戸の水がぬるんで甘くなったとも言われた。
わし? わしはな、あの人が置いていった草の種を、今でも裏庭に植えているよ。星の形をした小さな花が咲くんだ。
夜になると、その花だけ、ふわっと光るのさ。
だからあんた、忘れないでおくれ。
この世にはな、ふらりと現れて、ふらりと去っていく者もいる。
どこから来たかも、何者だったのかも、わからんけど、確かに“ここにいた”者たちがね。
たとえ、星の舟でやってきたとしても――
その人が、あんたに笑ってくれたなら、それで十分じゃないかね。
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