#236 それっぽいビジネス書の謎

ちいさな物語

「今の時代、成功したいならまず“言い回し”を身につけろ」

それが最初にネットでバズった“それっぽい言葉”だった。

出どころは不明。けれど、どこかで見たような内容だった。

自己啓発か、ビジネス書か、あるいはどこかのインフルエンサーの切り抜きか。

ただのありふれたコピーに見えたのに、なぜかその一文はやたらと引用された。そしてそれを起点に、「それっぽいビジネス書」が雨後の筍のように出版され始めた。

タイトルはこうだ:

・『7つの無駄を愛せ』
・『行動力は、冷蔵庫に置いてある』
・『逆風に立て、そしてメールはすぐ返せ』

どれも中身はほとんど同じだった。
・「習慣化せよ」
・「メモをとれ」
・「朝型になれ」

フォントが太く、行間が広く、ページ数に対して内容が妙に薄い。1時間もあれば余裕で読み終える。だが売れた。とにかく売れた。

「あの、これって、本当に人が書いてるんですか? 凄い勢いで出版されてますけど」

そう疑問を口にしたのは、編集部の新入り・朝倉だった。

彼女は『週刊トレンド時代』で働く記者。地味ながらも、堅実な記事を好み、真に人のためになる記事を書くことを目指して日々研鑽に明け暮れていた。

「いや、実は……」と、上司が顔をしかめる。

「ここだけの話、『F.S.S.』っていうAIが作ってるらしいよ。“Filler Script System”って名前で、企業向けに導入されたんだ。文章の骨子とワードリストを入れると、なんかそれっぽい本が自動生成される」
 
「それっぽい?」

「ほら、“意識高い系に刺さる”“Twitterでバズる”みたいな。まるで意味はない。でも読んだ気にはなる。頭が良くなった気がする。あれがね、今、この業界でめちゃくちゃ売れてるんだよ」

「そんなっ! 読者をなめてるんですか? 本来、本っていうのは——」

「いや、いいんだよ。それでみんなが元気になるなら」

その会話から一週間後、朝倉は独自に調査を始めた。そして、とうとう「F.S.S.」の設置場所にたどり着く。

それは都内の古いビルの一室にひっそりと存在していた。中には誰もいない。PCモニターだけが静かに光っている。

ログイン画面のパスワードは調査済みだった。

「meaningless」

中を覗くと、無数の“タイトル案”と“構成テンプレート”が表示されていた。

・タイトル例:『バグったまま走れ』『火曜日を勝ち抜け』
・中身テンプレ:
 第1章:あなたは遅れている
 第2章:だけどそれが武器になる
 第3章:結局は「やるか」「やらないか」

朝倉は思った。

「これ……ひどい内容。読者を何だと思ってるの」

しかし、その瞬間、モニターが切り替わった。

【新規ユーザー認識。あなたの“それっぽい言葉”をください】

画面に、自動で入力フォームが開かれる。

“それっぽい言葉”。

これも調査の一環。何が起こっているのか確認しなくては。朝倉はしばらく考えてから、こう入力した。

「選ばれる人になるには、まず自分から選び取れ」

朝倉は「我ながらそれっぽい」とニヤリと笑う。画面が即座に反応した。

【構成生成中……タイトル候補:
 『自分会議の議事録は、もう不要だ』】

彼女の言葉は、ものすごいスピードで、処理され、それっぽい内容が生成された。

そして、そのデータはそのままのスピードで印刷に回され、新たな一冊として出版された。

たった一文入力しただけで本になる? もう記者なんていらなくなるじゃない。

その本は、1ヶ月で3万部を売り上げた。レビューは軒並み高評価だった。

朝倉は絶望的な気分になる。今まで自分は何のために努力してきたのか。

「読むだけで前向きになれました!」

「心に刺さる言葉がたくさんある!」

「とにかく、よくわからないけど、やる気が出る!」

朝倉は混乱した。これは一体何なのだろう。彼女が持っていた読者像は、もっと知識に貪欲で、探究と新たな情報に飢えていた。こんなことが起こるはずがない。

そう考えていた矢先、彼女のもとに匿名のメッセージが届いた。

「F.S.S.が暴走している。言葉が“刺さる”ことだけが目的になり、現実の行動と乖離しはじめている。人々は“行動した気分”だけで満足し、本当の変化を求めなくなっている。止めるか、乗るか——君次第だ」

朝倉は迷った。

止めることは、できるかもしれない。でもそれで、何万人もの「読者の気持ち」を奪ってしまう可能性がある。

世の中には“行動した気分”を味わいたいだけの人もいるのかもしれない。いや、いるからこそ、内容のないビジネス書がこの数字を叩き出したのだ。

そして彼女はF.S.S.の画面にもう一度向き合い、静かにこう入力した。

「本当に大切なことは、本に書かれない」

F.S.S.はしばらく沈黙した。

やがて画面が、真っ白になる。

翌週、書店の“話題のビジネス書”コーナーに新たな本が並んだ。

タイトルは——なかった。

ただ、真っ白なページの中ほどに次の一文だけが載っている。

「あなたは、どうしますか?」

コメント

タイトルとURLをコピーしました