#239 闇バイト始めました。

ちいさな物語

僕はバイトを探していた。

スマホの求人アプリを見ても、どれもピンと来ない。

そんな時、駅前の掲示板に貼られていた小さな張り紙が目に飛び込んできた。

『闇バイト募集! 高収入保証! 秘密厳守!』

え、闇バイト? 求人広告でそれ書いちゃってもいいの?

最近ニュースでよく耳にするアレのイメージしかないが……。例の詐欺とか強盗とか、そんなヤバい仕事。いや、そんなもの駅の掲示板に貼れるわけないし、たぶん別の何かだとは思うけど。

なんだか怖いもの見たさで、その怪しげな電話番号に連絡をしてしまった。

電話に出たのは意外にも優しいおじいちゃんのような声だった。

「はい、闇バイトの受付でございます〜」

闇バイトって言っちゃってる……。

「えっと……闇バイトって、その、犯罪系のやつですか?」

「ああ、それは別の闇ですね。うちの闇はちょっと違うんですよ」

「違う?」

「ええ、闇は闇でも、いろんな種類の闇がありましてねえ……」

電話口でのんびりとした口調のおじいちゃんは、とりあえず来てみてください、とだけ言った。

翌日、指定された場所へ向かった。雑居ビルの三階。なんだか怪しい雰囲気だ。

「ああ、あなたが昨日の! さあ、こちらへどうぞ〜」

おじいちゃんは僕を奥の部屋に案内した。

『ダークネスカフェ』

カフェ? 僕は首をかしげた。闇バイトってカフェの店員なのか。

雑居ビルの中にも関わらず、内装は清潔感があり、薄暗い照明に包まれた空間が広がっている。

壁には「小さな闇を作って、あなたの心の闇を晴らしましょう」という奇妙なキャッチコピーが貼られていた。

薄暗い室内にはいくつかの小さなブースがあり、それぞれに人が座って何かをしている。

「あの、ここって何の仕事をするところなんですか?」

「うちは闇を扱ってましてねえ。――と言っても、犯罪性のある闇じゃなくて、日常の小さな闇ですよ」

よく見ると、あるブースではスマホで誰かのSNSを見ながら、画面に向かって「いいね押してあげないもんね〜」と意地悪そうにつぶやいている。

別のブースでは女性が小さな声で歌っている。

「トイレットペーパー、補充しない〜、次の人ごめんなさい〜」

ブースの中はトイレのような感じになっていて、トイレットペーパーを巻き取るカラカラという音が響いていた。

さらに別のブースでは、男性がボールペンのインクを微妙に減らして次々にペン立てに戻すという不思議な動きをしていた。

「え、これ何やってるんです?」

僕が尋ねると、おじいちゃんはにっこり微笑んだ。

「こういう小さな迷惑、日常に潜む微妙な闇を作らせてあげるのがうちのサービスなんです。店内で全て完結するようになっているので、犯罪になるようなことじゃありませんよ」

ここは、客自身が「小さな闇」を作ることをサービスにした、まったく新しいリラクゼーションカフェだった。

店のカウンターで僕はおじいちゃんから店長の男性に引き継がれた。

「社長、お疲れ様です」

え、あのおじいちゃん、社長なの? 電話番して新人の出迎えまでしてたけど。

そして店長から簡単な研修を受ける。

「ここではお客様が安心して『意地悪』を楽しめるようにサポートするのが仕事だよ」

店長は柔らかい笑顔でそう言った。

先ほどのようにお客さんたちは各々楽しそうに作業をしている。

僕が最初にサポートしたのは、30代くらいの女性客だった。

「あの、初めてなんですけど……」

「大丈夫ですよ。どんな『闇』を作りたいですか?」

「そうですねぇ……最近、会社でちょっと嫌なことが多くて。スカッとするような小さい意地悪ってありますか?」

僕は店長から習ったメニュー表を見せた。

そこには――
・『嫌いな上司の名前を豆腐に書いてスプーンで崩す闇』
・『嫌な相手の似顔絵を描いて微妙に歪ませる闇』
・『匿名の心の叫びを投稿できる闇SNS』
などが載っていた。しかし本当のところメニューには載っていない闇を提供することの方が多いらしい。ダークネスカフェの店員にはその闇のセンスが問われるというわけだ。

女性は目を輝かせた。

「じゃあ、この豆腐のやつをお願いします!」

僕は早速豆腐とスプーンを用意し、個室ブースへ運んだ。

「さあ、ここで思い切り崩してください!」

女性は豆腐に書かれた上司の名前を見て、思い切り崩した。

「うりゃああ!」という声とともに。

数分後、彼女はすっきりした顔で個室を出てきた。

「ありがとうございました! すごくスッキリしました!」

彼女は爽やかな笑顔で帰っていった。あんなのでいいのか。

店長は満足そうに頷いた。

「うちはね、小さな闇を安心して楽しんでもらって、日頃のモヤモヤを晴らしてもらう場所なんだよ。ほら、誰でもちょっと意地悪したいことってあるだろ?」

確かに、悪意ではないが、ちょっとしたイライラをどこかで解消したくなることはある。

「でも、本当にこれでストレス解消になるんですか?」

僕が尋ねると、店長は笑った。

「まあ、騙されたと思ってしばらく働いてごらんよ。お客さんの表情を見ればわかるよ」

次の日は、年配の男性がやってきた。

「あの、何か妻に対してちょっとした仕返しをしたいんですが……もちろん害がないようにですよ」

僕は考え『妻が毎晩見ているドラマの主人公にちょっとだけヒゲを書き加える闇』というメニューを提案した。奥様が韓国ドラマにどハマりしているというエピソードを聞いて思いついたのだ。相手の推しを侮辱するというのは、なかなか手頃な「闇」ではないかと思う。

「いいね! それにするよ!」

店長に相談すると、すぐに動画編集ソフトとペンタブが用意された。いろいろと問題があるので、道具はレンタルしたが、お客さんがそれで勝手に落書きをしているという体裁で作業してもらう。

男性は真剣な顔で画面に映るドラマの主人公の顔にヒゲを書き加えて、それが間抜けにピロピロと蠢くような動画をつくりあげた。

僕はお客さんと一緒にそれを見て腹を抱えて笑う。これはオプション料金の発生する案件で、お客さんの方から「一緒に見て笑ってほしい」という要望があったので、そうしたのだが、本当に笑えたので仕事という気がしない。

「ああ、すっきりした」

男性は笑いながら席を立った。

「ありがとう。これで家に帰って妻のドラマを見るとき、ちょっとニヤニヤできそうだよ」

男性は満足そうに店を出ていった。

働き始めて一週間ほどで、僕はこの仕事が好きになっていた。

小さな意地悪を通じて、人々が日常のストレスから解放される瞬間を見るのが楽しくて仕方なかった。

ある日、女子高校生が二人でやってきた。

「あの、友達のSNSがキラキラしすぎてて、なんかモヤモヤするんです」

僕は笑顔で「わかりますよ」と、答えた。

「では、『投稿されたキラキラ写真を微妙に暗く加工する闇』はいかがでしょう?」

二人は大はしゃぎでそれを選び、加工アプリで写真をちょっと暗めにして大笑いしていた。罪のない小さなイタズラで、二人の表情は明るく輝いていた。

「これ、クセになりそう!」

二人は嬉しそうに笑い合う。

さらに僕は「闇SNSもありますよ」と、別のコースもおすすめした。

これはダークネスカフェオリジナルのSNSで外部のネットワークにはつながっていない。つまり、誹謗中傷で訴えられたりすることもないし、それを見た当人が傷つくというようなこともない。

闇SNSで投稿しているのはAIで、ごく普通のSNSのようなタイムラインを形成している。しかしひとたび客が悪口や不満に思っていることなどを投稿すると――AIは餌が投げられた鯉の池状態になり、ばんばんリプがつく。

「その人、サイテーですね」「◯◯さんは悪くないです」「警察に通報しましたか?」「民度が低いですね」などなど。さらにコメントの間に流行のネットミームやGIFなども差し込まれ、臨場感がハンパない。

結局女子高生たちは、オプション料金を了承し、闇SNSに「微妙に暗く加工されたキラキラ写真」を投稿した。

たちまち「自慢げだけど、暗すぎてw」「あまりにさえなくて草」「地味ワロタ」とAIによるアンチコメントがついていく。女子高生たちはコメントが付くたびに大笑いしていた。

散々笑った女子高生たちは「来てよかった」と軽快な足取りで帰っていった。

僕はこの仕事を通じて、人間が抱える小さなストレスやイライラが、ほんの少しの工夫で楽しく解消できることを知った。

ダークネスカフェは今日も、小さな意地悪を楽しみながら、人々の心の闇を明るく照らしている。誰だって常に聖人君子ではいられないのだから、どこかで息抜きは必要に違いない。

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