#241 空蝕

ちいさな物語

最初にそれが起きたのは、静岡県の浜松市だった。

ある晴れた午後、駅前のロータリーで、ひとりの若者がふいに「消えた」。

監視カメラの映像には、奇妙な瞬間が記録されていた。

若者が歩いていた位置――空間が、まるで破れたように歪み、空間の“色”が変わった。

次のフレームには、彼の姿はなかった。音も悲鳴も何もない。まるで最初から存在していなかったかのように。もちろん血だまりなどのわかりやすい痕跡も残っていない。

その後、同様の消失は全国で散発的に報告された。突如として人が消えるのだ。残された映像の印象では地面に吸い込まれるのではなく、空に抜けていく感じに近い。

ある者は空を見上げたまま、そのままふわりと、透明な何かに引きずられるようにして宙に浮き消えた。またある者は日傘をさしたまま笑顔で立ち話をしていた途中、ふと目を逸らした瞬間にいなくなった。

政府は「一時的な精神錯乱による集団幻想」と発表したが、屋外でのニュース番組の生放送中に、アナウンサーが消えた。スタジオが騒然とする瞬間を全世界が目撃することで、集団幻想という説明は立ち消えた。

やがて人々は、その現象を「空蝕くうしょく」と呼んだ。空が人間を“食っている”。

空蝕にはいくつかの共通点があった。まず、現象が起こる場所は屋外であり、かつ“空がよく見える場所”に集中していること。

また、空蝕に遭った人の存在痕跡が極端に少ない。服や所持品も一緒に消える。

さらに不思議なことには、周りの記憶も曖昧になっていく。写真に写っていたはずのその人の姿が、気づけば“ぼやけて”いる。まるで、空蝕に遭う前からすでに消失が始まっていたかのように。

東京では「空避けマント」と呼ばれる商品が流行した。銀色の遮光布をかぶって移動する人たち。屋外に出るときは、できるだけ“空を見ない”ことが推奨された。

高層ビルの屋上は封鎖され、公園の遊具も「使用禁止」の貼り紙がされた。子どもが空を見上げる行為すら、親の不安の的になった。

だが、どんな予防策も完全ではなかった。空蝕は、突然やってくる。

ある大学教授は記者会見でこう語った。

「これは捕食です。人類は、今までただの空間だと思っていた空が、実は大いなる捕食者だったことを早急に認め、対策を講じるべきだ」

空蝕が始まって、三ヶ月後。人口は約一割減少した。

やがて空を見た者が消えるのではなく、見られた者が消えるのだという説が有力になってきた。

空は意思を持っており、人の姿を捉えると、そこで、捕食が始まるのだと。

「見上げるな」ではなく、「見られるな」。

それが「空を見なければよい」と思い込んでいた人類をさらなる絶望に突き落とした。

空に見られたかどうかは、誰にもわからない。ただ、ある日、なんの前触れもなく消える。

秋も終わりに差しかかった頃、空蝕の規模が広がりはじめた。

一人ではなく、同時に数十人が消えた。地方都市の駅前広場で、繁華街で、体育祭の最中に。

そして消失のたび、空は異音を発するようになった。風のような、虫の羽音のような、低く鳴る“咀嚼音”のような――人間には再現不可能な不協和音。

各国の衛星が空蝕の発生源を観測しようと試みたが、そのたびに機材がノイズに覆われ、通信が途絶えた。

NASAの研究員が一枚の画像を記者にリークした。そこには、雲の裂け目からこちらを覗く“眼”のような模様が写っていた。

年が明ける頃、空蝕は都市を丸ごと飲み込むようになっていた。

東京は10分間で3万を超える人間が消失した。その“眼”は人には見えなかったが、地上の温度を2度下げ、電子機器の一部を停止させた。

やがて人は外に出ることをやめた。

空を「見ないこと」が、最大の礼儀と信仰となる。空はタブーとなりつつあった。

子どもには空を描かせない。

空に関する文学、音楽、写真は禁書扱いとなり、“空”という言葉すら、徐々に別の言葉に置き換えられた。

新生児の名づけにも、「空」の文字は使われなくなった。忌むべきものとして、人類の魂に刻み込まれたのだ。

今、私はこの文章を地下室で書いている。ここ数年、地下はすさまじい勢いで開発された。しかし、地上にいる全員が地下に住めるとは限らない。危険と知りつつも地下の物件を買えない、借りられない人は一定数いる。もはや地上でも屋根の下であれば安全という段階ではなくなっていた。

地下には空がない。見えない。存在を想像することすら難しい。けれど、わかっている。

空は、まだそこにある。飢えている。こちらを見ている。

空蝕は止まらない。

それは「食事」だからだ。長い眠りの後、天はただ、自らの食事を再開したにすぎない。

そして次は――おそらく、この部屋の上だ。気配が、する。

ドアの隙間から、あの咀嚼音が漏れ聞こえてきた。

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