#242 冷蔵庫の狂気

ちいさな物語

引っ越し先のアパートには、備え付けの冷蔵庫があった。

真っ白な本体は古びていて、冷蔵庫というより巨大な棺桶に見えなくもない。

前の住人が置いていったものらしく、家主も「処分していい」と言っていたが、昨今家電を捨てるのにも金がかかる。どうせ必要なものだし、そのまま使うことにした。

電源を入れると、中からかすかに「パチン」と音がして、照明が灯った。中は空っぽだったが、新たな生活を始めた実感がわく。

それから三日ほど経って、奇妙なことが起こった。

夜中に台所から、「カタ……カタ……」と音が聞こえる。最初は風のせいだろうと思った。

けれど次第にそれは、「カタ、トン、トトン……」と、まるでノックのようなリズムを刻むようになった。それは冷蔵庫の中から聞こえていた。

おかしいと思いながらも、私はその冷蔵庫を使い続けた。飲み物を冷やし、野菜を入れ、作り置きを保存した。特に異変はない。

ただ一つだけ、冷蔵庫の中のものが、妙に長持ちするのだ。

二週間も経つ牛乳を捨てようと思ったが、臭いも変色もない。

切ったアボカドが、色も変えずにしっとりと新鮮なまま。

最初はそういうこともあるのかと思って、さして気にしなかったが、よく考えるとやはりおかしい。

冷蔵庫に何か秘密があるのではないか。検証するために、思いつく限りいろんなものを冷蔵庫に入れてみる。

まず、小さな観葉植物。なんと冷蔵庫の中で根を張り、育ちはじめていた。中は真っ暗なはずなのに。

そしてある夜、私はドアポケットに祖母の古い遺影を入れてみた。ちょっとだけ酔っていたからだろう。この冷蔵庫なら何か不思議なことが起こるかもしれないとも思った。

翌朝、遺影はわずかに笑っていた。写真の中の祖母が、微笑んでいるように見えたのだ。ずっと置いてあった遺影だから、見間違えようがない。確実に表情が変わっている。

私はそれをきっかけに、さらにいろいろなものを入れてみた。

捨てられずにいた元恋人からの手紙。遺品整理で出てきた古いオルゴール、そして近所で拾った、小さな木彫りの人形。

それらは、冷蔵庫の中で奇妙な変化を見せた。「いったいそれが何なのか?」と、疑問を抱かずにはいられない、あまりにも微妙な変化だ。

元恋人からの最後の手紙は文字がにじみ、最後の行だけがはっきりと、それこそ3Dアートのように浮かび上がった。「さようなら」と。なぜ、そこを強調する?

オルゴールは動かないまま、ある夜だけ1音、「カラン」とだけ音を鳴らした。だからなんだ?

木彫りの人形は、何日もかけて、いつの間にかポーズが変わっていた。いや、なんなんだよ。

夢の中で誰か、知らない人が私に向かって叫んでいた。

「あの冷蔵庫は除霊するんじゃない。霊現象じゃないからな。ただ、静かに眠らせるべきだ! あの冷蔵庫は気が狂っているぞ!」

なんだよ、それ。

数ヶ月後、私は引っ越すことになった。冷蔵庫に嫌気がさしたわけではない。転職したのだ。

気が狂っているという冷蔵庫は、そのままにしておいた。前の住人に押し付けられたものを、こちらで金を払って処分させられるのは業腹だ。

次の住人がどう扱うかはわからない。でも、あれはまだそこにあり、新しい住人を戸惑わせている気がする。

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