#244 その箱は開けないで

ちいさな物語

その朝、家の前に小さな箱が置かれていた。

黒いガムテープで封がされ、伝票らしきものは何も貼られていない。手書きの文字で、ただ一言だけが書かれた白い紙が貼られている。

「開けないでください」

差出人も、宛名も、何もない。だがその文字は、まるで自分に向けられた命令のようだった。

「イタズラ……?」

菜月なつきは首を傾げた。注文した荷物は特にない。思い当たる節もない。けれど誰かが間違えて置いたにしては、あまりにも不自然だ。

軽く持ち上げてみると、中身はわからないがずしりとした重みがあった。落としたら壊れるかもしれない、そんな感触。

「……まあ、何かの間違いでしょう」

そのうち間違えた誰かが取りに来る。――そう思ってそのままにして仕事に出かけた。

夕方、帰ってきても箱はあった。全く同じ位置に。

朝とは違って、今は玄関の照明が灯り、箱の存在が不気味に浮かび上がっている。なんだか気味が悪い。

(中はなんだろう?)

夜になっても、箱はそのままだった。気になるから開けたい気持ちと、危険物かもしれないから開けてはいけないという警戒が綱引きをしている。

翌朝。

箱はまだそこにあった。だが、貼られていた「開けないでください」の紙が変わっていた。

「中身を知りたいですか?」

菜月は息を呑んだ。自分は何もしていない。何も書き換えていない。誰かが夜のうちに? でも防犯カメラも設置してあるし、不審者が映っていればアラートがくるはずだ。

恐る恐るスマホを確認する。……何も記録は残っていない。

その日、仕事に集中できなかった。ふとした瞬間にあの箱のことが頭をよぎり、胸がざわざわする。まるで“誰かがこちらの心を読んでいる”ような。

帰宅すると、箱はまだあった。紙はまた変わっていた。

「開けてしまった人たちのことを知りたいですか?」

(誰が……書いてるの……?)

もはや我慢の限界だった。菜月は箱を持ち上げ家に持ち込んだ。

「……知りたい」

その瞬間、風が吹いた。なぜか家の中に強い風が吹き込み、貼り紙が飛ばされた。

風がおさまり目を開けると、なぜか、箱の蓋が少しだけ開いている。

中から漂ってきたのは、乾いた砂っぽいにおい。そして、かすかな鉄錆の匂い。

中を覗くと、小さなフォトフレームのようなものが入っていた。

だがそれはただのフォトフレームではなかった。まるで“窓”だった。

そこには、誰かの部屋の内部が映っている。古びた机、椅子、そしてベッド。

ベッドの上に、菜月はフレームの中に見覚えのある顔を見つけた。高校の同級生。数年前に行方不明になった間宮さんだった。

彼女はそこで、何かに向かって手を伸ばしていた。だが声は聞こえない。助けを求めているようにも見えたし、逆にこちらに「来てはだめ」と訴えているようにも見えた。

その後ろに、影のような存在が現れた。形をなさない黒い何か。画面がぐにゃりと歪み、フレームがバチン、と音を立てて閉じた。

再び箱は無言になった。

菜月は震える手で箱を戻し、元のように封をした。それから警察に数日前から身に覚えのない不審な荷物が置いてあると相談し、荷物を確認してもらった。

中には何も入っておらず、警察官は少し困惑したような表情を浮かべていた。

その夜、菜月は夢を見た。

真っ白な部屋。中央にあの箱があり、彼女自身がそれを見つめている。

「開けてはならない」と誰かの声がした。けれど夢の中の彼女は、ゆっくりと箱に手をかけ、そして――

また声がした。

「お前は、違う」

その日以降、菜月は一切の郵便物も宅配も受け取らないことにした。ネット注文もやめた。宅配ボックスも封鎖した。

けれど、数週間後、また現れた。

隣の家の前に。

遠目だが、「開けないでください」の貼り紙も見える。

もしかしてあの箱は順番に回っているのだろうか。夢の中の「お前は違う」という誰かの声を思い出す。

人を探している?

誰かが開けるたび、それは次の誰かの元へと行くのかもしれない。箱が探していた人を見つけたらどうなるのだろう。もしかして間宮さんは――。

菜月は隣の家の人が箱を前に困惑している様子を見ながら仕事に向かった。

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