#247 屋根裏の住人

ちいさな物語

古い一軒家に引っ越して三か月が経つ。

風呂場の換気扇はうるさく、壁は薄く、キッチンの床はぎしぎしと鳴る。だが駅近で家賃も安い。築六十年の割にはお得な物件だと自分に言い聞かせていた。

最初に違和感を覚えたのは、夜中の天井の向こうから聞こえる“足音”だった。

午前一時、パタリ、パタリと乾いた音。

ネズミにしては重く、人間にしては妙に軽い。そのたび「風のせいだ」と自分をごまかした。

だが、数日おきにその音はやってくる。

違和感は音だけにとどまらなかった。キッチンに置いていたコーヒーの袋が微妙にずれている。冷蔵庫のチーズが少し欠けている。夜に換気をしようと思って、開けておいた収納棚の扉が開いている。自分の記憶違いだと思い込んだが、どうも腑に落ちない。

大家に尋ねた。

「屋根裏って人が入れるくらいの広さありますか?」

「一応はね。昔は物置きに使ってたけど、今は誰も入ってないはずよ。鍵も渡してないし」

それを聞いて一度は安心したが、違和感は消えない。誰かが、この家にいるのではないか。

小さな不安が、夜ごとにじわじわと広がっていった。

ある日、意を決して屋根裏の点検口を開けてみることにした。台所の天井、脚立を出し、懐中電灯を持って覗き込む。埃と乾いた木の匂い、そして、――人の気配?

しかしそこに、人はいなかった。

いなかったのだが、古い布団、空のペットボトル、スーパーのビニール袋、日付の新しいレシートが置いてある。静かに背筋が冷えた。

翌日、点検口に鍵をかけた。それでも妙な気配は消えない。数日後、ポストに宛名のない封筒が入っていた。中には、手書きのメモ。

「お世話になっています。ご迷惑はおかけしないよう努めております。居場所が他になく、しばらく屋根裏をお借りしておりました。もうすぐ出ていきますので、どうかご容赦ください」

震える手で紙を握った。

恐怖と、不快さと、正体不明の罪悪感。自分が暮らす家の天井で、知らない誰かが眠り、呼吸し、生活していた――その事実が、夜中の静けさをいっそう深くする。

その後、いつでも警察に電話できるように携帯を握りしめて、再度点検口を開けてみた。しかし、屋根裏の痕跡はきれいに消されていた。

布団もごみもきれいになくなっている。そこには埃の匂いだけが残っていた。だが、それで終わりではなかった。

ある晩、寝室の窓辺に小さな包みが置かれていた。

中身は手のひらサイズのレモンケーキ。スーパーの新しい袋に、封も開けられていない。添えられたメモにはこうあった。

「これまでのご恩に、ささやかな返礼を」

私はその晩は鍵をしっかり確認して眠った。

それでも夜が来るたび、家のどこかで誰かが見ているような視線を感じる。知らないうちに部屋に入られていたという事実は、静かに私の神経を蝕んでいたようだった。

屋根裏の足音は消えた。だが、ごくたまに――キッチンの棚の缶詰が一つ増えていることがある。いつも同じブランド、同じ味のもの。それが気のせいなのか、もっと深刻な幻覚なのか、もはやわからない。

真夜中、点検口の鍵を見上げると、ふと背後に気配を感じることがある。知らない誰かの息遣い、体温、あるいは自分の生活そのものが誰かの居場所になっていたのではないか――

そう思うと、眠れぬ夜が増えていった。

いまでもときどき、家のどこかで足音がする気がして、私は耳を澄ませてしまう。屋根裏にはもう誰もいないはずなのに。私は静かに狂っていくようだった。

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