#257 終わらない階段

ちいさな物語

目が覚めたとき、私は薄暗い空間にいた。足元には古びた木の階段が続き、上にも下にも終わりが見えない。左右には壁もなく、ただ漆黒の空間が広がるだけ。夢なのか現実なのかわからないまま、私は自然と階段を上り始めていた。

一段一段、足を踏みしめるたびに音が響く。しかし、音が反響する先はどこにもないのに不思議だ。

どれくらい登ったのだろう。ふと振り返ると、背後の階段は霧のように消え、下ることはもうできないようだった。

「どこへ向かっているんだろう?」

自分の声は吸い込まれるように消えた。そのとき、階段の途中に小さな影を見つけた。影は人のような形をしていたが、顔は曖昧で、性別や年齢もわからない。

「この階段は、どこまでも続いているよ」

影が唐突にそう告げた。驚きつつも「どうして? 上に何があるの?」と尋ねると、影から静かに微笑むような気配がした。

「この階段は、君が進みたいと思う限り続く。進みたくなくなれば全部消える。目的地は君自身が決められる」

意味が分からず、影に近づこうとした瞬間、彼は霧のように消えた。私は再び独りになり、気づけばまた足を前に進めていた。

階段を上るうちに、不思議なことが起こり始めた。足元の段には過去の断片が映り込む。子供のころの笑顔、失敗の記憶、大切な人との別れ。振り返るたびに消える階段には、戻ることのできない時間が刻まれているようだった。

やがてそれは、あの記憶を映し出す。

雷のような大きな音、衝撃。目の前が赤く染まる。眼裏にちらちらと光が瞬く。

そして次に自分を見下ろしていた。

「死んでいるなあ」と冷静に思った。

歩道にはみ出してきた自動車と電柱の間に自分らしきモノが挟まっていた。どこからどう見ても助からない。そうなるともう、モノにしか見えなかった。

「即死ってやつか。痛くなくてよかった」

そうか。それから、この階段を上り始めたのだった。

目的地を決められるというのは、このまま死んでもいいし、誰かに挨拶に行くこともできるのだろう。

――とはいえ、実は特に何かしたいわけでもない。

そういえば、幽霊の話をしている人が多かったのは、これだけ自由だからか。目的地を好きにできるなら、恨みを晴らしたり、好きな人に付きまとったり、やりたい放題だ。

事故を起こした自動車の運転手に復讐――とか、できるのだろうか。急に死んでびっくりしたし。

足元には新しい断片が映った。

赤ん坊を抱いた若い女性。幸せそうな笑顔。きれいな人だ。

次に車内の風景。赤ん坊が急に泣き出し、女性の気が少し逸れる。その瞬間、ハンドル操作を誤り、そのままのスピードで歩道に乗り上げる。その先には――。

悲鳴。赤ん坊の鳴き声。ざわめき。

次の断片は事故現場を上空から見下ろしている風景。

女性は慌てて車から降りてきて、私を助けようとした。しかし、もう無駄だと悟った彼女はすさまじい悲鳴をあげた。それから、取り乱し、泣き出し、土下座して、暴れて、叫んで、そのまま失神した。

なんかコントみたいだなと思った。赤ん坊が泣き続けている。

遠くからサイレンが近づいてきた。

――恨めないよなぁ。赤ん坊が原因じゃあ。いっそ、飲酒してたり、スマホでも見ながら運転してたらよかったんだけど。子育てで疲れていたんだろうし。

――さて、復讐の目がなくなったら、他に目的はあるだろうか。

両親もすでに他界している。結婚もしていない。だから子供もいない。友達はいたけど、急に幽霊が来たら気持ち悪いよなぁ。逆の立場だったら、来ないでほしいし……。

どれくらいの時間が与えられているのか知らないが、せっかくなのでゆっくりと考えた。考えた結果、やはり目的地はないことに気づく。

ない場合は、どうしたらいいのだろう?

そもそもガイダンスが雑なんだよなぁ。私は首を傾げつつ、階段を上り続けた。目的地はまだ決めていないし、上るのをやめるつもりもなかった。

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