フルーチェを食べているときだけ、ニーチェが話しかけてくる。
そんなおかしな現象に初めて気づいたのは、火曜日の午後だった。
特に夢もなく、目標もない。大卒なら就職くらいできるだろうと淡々と課題をこなしている自分にとって、フルーチェは唯一の慰めだった。イチゴ味が好きで、週に何度も食べる。
大卒が目的なので、講義はまったくおもしろくなかった。特に哲学の講義が苦手だ。つかみどころがなく、やっている意味がわからない。
その日もスプーンを口に運ぶと、まるで脳の中に直接響くような低い声が聞こえた。
「君が週に何度もフルーチェを食べることは、まさに永劫回帰だね」
ぼくは思わずスプーンを取り落とした。
驚きのあまり周囲を見回したが、そこに声の主の姿はない。周りの様子から、声が聞こえているのは自分だけのようだった。
声の主は、あの有名な哲学者ニーチェだと名乗った。そもそも周りに人がいない中、声がすること自体がおかしい。本当にあのニーチェかどうかは二の次だ。
ぼくの混乱をよそに、彼は言った。
「美味しいかい? これは人生の肯定だ。君は君自身の運命を愛するべきだ」
困惑しながらも、ぼくはこの奇妙な現象に興味を惹かれ、質問してみることにした。どうせぼくの頭がおかしくなったか、白昼夢みたいなものだろう。それなら、どっぷり浸かってやろうじゃないか。
「でもニーチェさん、ぼくは哲学なんて嫌いなんだ」
「すばらしい。他人の価値観を生きる必要はない。君はフルーチェを食べ続ける。それでいい。哲学とは無縁な場所でこそ哲学は芽生える」
ニーチェの言葉は難解で、ぼくの平穏な日常をかき乱すには十分だった。その日以来、ぼくは毎日フルーチェを食べるようになった。
ニーチェの言葉はどんどん鋭く、そして奇妙になっていった。
「君の人生はまさに超人への道の途中だ」
「善悪を超えてフルーチェを食べるのだ」
「フルーチェを食べる君の行動こそが、神を殺した者の誇りだ」
もはや理解不能な哲学が、ぼくの脳内で暴れ回る。
そしてぼくはだんだん、その不条理な会話を楽しむようになっていった。
大学でも保冷機能のついたスープジャーに入れたフルーチェを持ち歩くようになったぼくを、周囲は怪訝な目で見ていた。いや、ぼくは自分の価値観で生きているのだから、周りはどうでもいいのだ。
ニーチェに聞きたいことがある時はフルーチェを口にした。
持参したフルーチェを食べながらひとりごとを言う変な人になっていたようだが、もはや気にならない。
教授はそんなぼくに、「最近、ちゃんと講義に出てくるようだが、哲学に興味が出たかね?」と冗談交じりに尋ねる。
ぼくは苦笑いしながら、首を振った。
「いえ、ぼくはフルーチェが好きなだけなんです」
もちろん教授は変な顔をする。
ある日、ぼくは自分が哲学の本を読み漁っていることに気づいた。ニーチェの言うことか、ぼくの妄想なのか、本当のことなのか確認したかっただけなのだが、奇しくも周りには哲学にかぶれておかしくなった人のように見えているらしい。
ニーチェの著作はいつの間にかぼくの机の上に積まれ、その横には食べかけのフルーチェがある。
ニーチェの著作を読みながら、本人に解釈を求められるというのは、恵まれ過ぎている。
「ぼくはフルーチェを食べ続けることで、本当に超人になれると思う?」
ニーチェはゆったりと笑ったような口調で答えた。
「超人とは、自らの運命をフルーチェのように受け入れることだ」
その言葉にぼくは、なんとなく納得した。正直、ぴたりと「理解した」とは言い難い。
ぼくの人生はフルーチェに、いやニーチェに支配されつつあるが、それでも悪くないと思えたのだ。
だがある日、スーパーの店頭でフルーチェが売り切れになってしまった。大流行しているアニメの主人公がフルーチェをアレンジして食べるというシーンが話題になり、急に売り切れてしまったらしい。
途端にぼくはパニックになり、店員に食い下がる。
「フルーチェがないと困るんです!」
店員は怪訝な顔で言った。
「なぜそんなにフルーチェにこだわるんです?」
ぼくは無意識に叫んでいた。
「それはニーチェがそう望んでいるから!」
その瞬間、周囲の視線がぼくに集中した。店員も客も全員がぼくを見る。しかし、彼らの目はどこか理解と共感に満ちていた。
誰かが小声で呟いた。
「フルーチェとニーチェ、確かにちょっと似てるよな……」
それから、ぼくはニーチェの声を聞くことができなくなってしまった。ぼくは、それを埋め合わせるかのように、さらに本を読み漁った。
結局、哲学の授業にも真面目に出るようになったぼくに、ニーチェはいつしか囁かなくなっていた。フルーチェを口にしても、だ。
今、ぼくはあの現象は気のせいだったのではないかと思い始めている。ただ、ニーチェの声はぼくの胸の中にずっと残っている。
「君の人生を愛せ。すべてのフルーチェを肯定せよ」
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