駅前の古びた雑居ビルの一階には、怪しいカフェがある。
名前は「真実のカフェ」。
マスターは口癖のように言った。
「世界は陰謀で動いている!」
いつも常連客たちはマスターの突拍子もない陰謀論を聞きながら、コーヒーを吹き出して爆笑するのが日課だ。
例えば先日のマスターの主張はこうだ。
「実はな、コンビニの店員は全員CIAのスパイだ!」
「なんでCIAなんだよ!」
客の一人が突っ込むと、マスターは神妙な顔でこう返す。
「いいか。聞いて驚くなよ? 『C』はコンビニのC、『I』はいい加減、『A』はアルバイトだ!」
客たちは「なんだそりゃ」と、腹を抱えて笑い転げた。
こんな調子だから、いつもカフェは笑い声が絶えない。マスターの陰謀論はその嘘くささやデタラメさで人の心をつかんでいた。確実に嘘だと思えれば、「陰謀」も安心して楽しめる。
ある日、マスターがまた突拍子もないことを言い始めた。
「実はな、この街の鳩は政府のドローンなんだ!」
客たちはニヤニヤしながら耳を傾ける。
「どうして?」
マスターは得意げに言った。
「よく見ろよ、あの異様なまでの首の動き! 充電切れそうだから揺れてるんだよ!」
また店内に爆笑が巻き起こった。
しかし、この日はいつもと違った。
若い客の一人が真顔で言った。
「でも――あの鳩、本当にちょっと変じゃないか?」
常連たちは一瞬静まり返った後、全員で窓の外を見つめる。
そこには、機械じみた動きをする鳩が群れていた。カクカクと首を揺らす様子は明らかに生物の動きではない。
「ほ、本当だ!」
常連客たちも思わず息をのみ、考察を展開したり、さらなる陰謀論を披露したりと、マスターの意図とは別の方向で盛りあがりを見せる。
マスターは一緒に笑いながらも不安になり始めていた。まさか客を楽しませるための冗談が的中してしまったのか?
「ほ、ほらな。俺がいつも正しいんだ!」
しかし内心では「もしかして当局から監視されたりしないだろうか。あの鳩、もしかして俺を見張ってる?」と、震え上がっていた。
――翌日から、街ではマスターの陰謀論が現実になる事件が次々と起き始める。
マスターが『スマホは宇宙人が作った監視装置』と言えば、スマホが謎の画面に切り替わったという報告をする者が現れた。
『スーパーのレジは未来人が歴史学習のため記録をとっている』と口走れば、レジが突然止まり、不気味な音声を発してクラッシュした。
それを知った常連たちはますます面白がる。カフェは元からのマスターのファンと、本格的な陰謀論者たちで大盛りあがりだ。
マスターは内心ヒヤヒヤしていたが、期待されると調子に乗ってしまうたちが災いして、とめられない。
ある日、地元テレビ局が取材に訪れた。
「世界の陰謀を知るカフェ」としてSNSで話題になったらしい。
マスターは緊張しながらもカメラに向かって叫んだ。
「実はテレビのアナウンサーも、イルミナティのメンバーだ!」
アナウンサーは困惑した。
「えっ!? 私もですか?」
「そうだ! 君が何をしているのか、俺は知っているぞ!」
カフェの客もスタッフも、大爆笑。そんな中、当のアナウンサーだけは、思い詰めたような表情でうつむいていた。
翌日、例のアナウンサーが姿を消したという報道が流れた。表向きは原因不明の行方不明扱いだったが、ネットでは「真実のカフェで正体をバラされ失踪した」という噂で持ちきりになる。
さすがにマスターも慌てふためいた。
「これはマズい。俺の言ったことは本物の陰謀だったのか!」
その夜、マスターはカフェで陰謀の話をするのはやめようと決心した。しかし、常連客たちはそれを許さない。
「マスター、あんたの陰謀論が聞きたいんだ!」
「いや、もう、俺は……」
すると客たちは口々に言った。
「頼むよ。いつも楽しみにしてたんだ」
「ここで笑って帰るのが日課なんだ」
そこへ一人の老人が静かに入ってきた。
「マスター、君は知らなかっただろうが、君の存在こそが本当の陰謀だったんだよ」
老人の突拍子もない発言に、皆が戸惑った。
「どういうこと?」
「実は君自身が『陰謀論』を広めるために作られた政府の極秘プロジェクトの一部なのだ」
全員が一瞬沈黙した後、店内は今までで一番の爆笑に包まれた。
「それはないわ!」
「さすがに陰謀すぎるだろ!」
マスターも叫ぶ。
「いや、その通り! 実は俺が陰謀だ。政府の極秘プロジェクトが明るみに出るとまずいので、さっきやめると言ったんだ。もうバレてるなら仕方ない」
老人も一緒になって笑った。そして、笑いがおさまった一瞬の間――マスター、常連客、老人が目配せをして、ゆっくりと頷き合う。そしてまた誰からともなく笑い出す。
ゆっくりとカフェは日常を取り戻していった。あんなにネットで騒ぎになった陰謀論もいつしかみんな忘れている。
マスターは相変わらずカフェで陰謀論を叫び、客たちはそれを笑って受け流す。そんな穏やかな時間が戻っていた。
ただ、時々鳩の首の動きが妙にぎこちなく見えたり、スマホが変な画面に切り替わったりしても、それを公言しないことはカフェ常連客の間では暗黙の了解となっていた。
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