#267 パンツ大戦争、午前二時

ちいさな物語

深夜二時、町は眠っている。だが、眠っていない場所もある。たとえば、駅前のコンビニ。

自動ドアが、ピローンと音を立てて開いた。

「いらっしゃいませー」とレジの夜勤バイトの福与ふくよは、半分寝ているような声であくびをかみ殺した。店内は誰もいない。BGMが虚しく響き、コンビニコミック版『美味しんぼ』の表紙が遠い目をしている。

「……!」

入ってきたのは、なぜか全身ラメラメのスーツに身を包んだ中年男性だった。頭にはオレンジ色のカツラ、目元に大きなサングラス、手には「パンツ」と書かれた紙袋を大切そうに抱えている。

「……パンツはどこだね?」

「は、はい? パンツ……ですか?」

福与は戸惑いながらも、お客さま第一主義に則って紳士的に応対した。「奥の日用品のコーナーにございます」と言いかけたそのとき、ドアがもう一度鳴った。

「邪魔するぜ、パンツマスター!」

現れたのはスーツ姿のサラリーマン。しかし、普通のサラリーマンではない。彼の顔は妙に四角く、しかもネクタイが耳に結ばれている。そしてなぜか、右手にパンツを三枚、左手に軍手をしていた。

「なんだと……パ、パンツ・カイザー!」

パンツマスターはパンツ・カイザーを見るや否や、ファイティングポーズをする。

「貴様も来たか……このパンツを狙って!」

「フッ……パンツは、奪うためにあるんだよ!」

「そんなことはない。パンツは、穿くためにあるんだ!」

福与は目の前で始まったパンツ哲学バトルにただただ呆然としていた。夜中の駅前というのは本当に変なヤツがよく来るんだよな。

「あのー、店内でケンカはちょっと……、えーっと、パンツ、買われるんですか?」

だが、二人の耳には届かない。

「問おう、カイザー! なぜ君はパンツを集めるのか!」

「それは……パンツが、そこにあるからさ!」

パンツマスターは大きくうなずいた。

「名言だ……いや、迷言だ……。だが、否定はしない!」

サラリーマン改めパンツ・カイザーは、レジ前で踊りだした。そう、なぜかタップダンスだ。

彼がステップを踏むたび、レジ横の駄菓子が震え、なぜか福与の脳内で「パンツ」の文字がリフレインする。注意深く意識するとステップの音が「パンツッ! パンツッ!」だった。

「こ、これは……パンツ・ダンス……!」

「見よ、これが新時代のパンツの在り方だ!」

彼らがパンツについて激論を交わしているうちに、またドアが開く。

「おう、静かにせんかい。カタギに迷惑かけるじゃないよ。ワシはパンツの神じゃ」

神?

今度は白髪に赤いバンダナ、法被はっぴ姿のおじいちゃんが登場した。肩にはなぜか子猫。手には金色のパンツを掲げている。そして、法被の間から見えているのは――ふんどし? そこはパンツじゃないんだ。

「ぱ、パンツの神……!」

「そうじゃ。パンツの神じゃ。全てのパンツはワシのもんじゃ!」

店内に緊張が走る。

「福与くん、見ておるか。これがパンツの世界じゃ」

いきなり名指しされ福与はびくりと体を震わす。その輪の中に入れないでほしい。

「このコンビニはパンツの聖地。ここでパンツ大戦争を決着させようぞ!」

聖地とは初耳だ。今までこんなこと無かったぞ。

「望むところだ!」

「かかってこい!」

「よろしい。勝者にはこの金パンツを授けよう!」

奇妙な儀式が始まった。パンツ・マスターはパンツを頭に載せて瞑想し、パンツ・カイザーはネクタイを鼻に詰めて気合を入れる。パンツの神は子猫に金パンツをくるくる巻いていた。子猫が可哀想だ。

「いくぞ、パンツアタック!」

パンツ・マスターが紙袋からパンツを投げた。パンツ・カイザーは巧みに軍手でキャッチ。次の瞬間、軍手の指先にパンツがすっぽりはまり、なぜか「指パンツ」がキマる。

「これぞ、ニューウェーブ・パンツ!」

パンツの神は「よくやった」と言って、金パンツを床に放り投げる。子猫がじゃれて金パンツをカウンター下へ押し込む。

「おい、それはワシの金パンツ!」

パンツ・マスターとカイザーが、子猫を追いかけてカウンター下へダイブ。福与は「やめてください、商品が……!」と慌てて制止するが、パンツの神は「パンツは自由じゃ」と呵々大笑。

深夜二時のコンビニは、パンツと猫と人間が入り乱れる無秩序な地獄と化していた。

そして、その混乱の中、店長が早めの朝シフトのため、通勤してきた。

「おはよう。福与くん、今日も何もなかったよね?」

福与はしばし沈黙した。カウンターの下では、二人がまだ子猫を捕まえようと悪戦苦闘している。カウンターからはみ出した連中の足が別の生き物のようにバタバタと暴れている。

「はい、いえ、あの……」

福与は店長とその足を交互に見る。パンツの神は、なぜかレジ横のどら焼きを勝手にむしゃむしゃ食べていた。

店長は真顔のまま、まっすぐにバックヤードへと向かう。

結局、金パンツはその日、誰のものにもならなかった。ただ、朝日が差し込む店内で、パンツの神がそっとつぶやいた。

「パンツは奪うものでも、穿くものでもない。みんなで分け合うものじゃ」

福与は納得したような、してないような茫洋とした顔でたたずむ。もう眠くてどうでもよくなっていた。早く帰りたい。

「福与くん、悪いけど警察呼んで」

店長がバックヤードで防犯カメラを操作しながら言った。

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