#269 仮病師の奥義

ちいさな物語

「仮病は、他人に知られないことが最低限のマナーである」

そう語るのは、倉持朔太郎くらもちさくたろう、三十七歳。自称・仮病師。

正式な職業ではない。しかし、彼の中では仮病とは一種の“礼儀作法”として確立されていた。

ズル休み――その言葉には嘘と怠慢の香りがある。だが彼の考えでは仮病とは、自己の心身を守るための「見えない盾」。

周囲に不安も不信も抱かせず、可能な限り周りの手を煩わせず、ただ一日を静かに休ませてもらう。

それはむしろ、慎ましやかな知恵だった。

倉持には「三つの心得」があった。

一、仮病の本質は演技ではなく準備である。身体をゆっくり整え、症状を想像し、体感に近づける。

二、仮病はさりげなくあれ。露骨な咳も過度な力演技も不要。違和感のない不調をほんのりとにじませるのが肝心。

三、仮病は他人の心を乱さぬように。周囲が「本当に大丈夫?」と不安になったら、それは失敗だ。

朝五時。彼は起きて鏡を見る。

メイク道具を取り出すと、目の下に軽く影をつけ、顔色をほんのり鈍く整える。仮病準備である。

起床後に体温は上がりはじめるものだが、ここであえて首元を軽く冷やし、不調に通ずる「揺らぎ」を発生させる。

「これで“昨日から少し具合が悪そうだった”という印象になる。あくまで、違和感なく」

彼は、病状語彙帳を常に手元に置いている。

・腹部の訴え:重い・張る・間欠的に痛む
・頭痛の語感:締めつける・にぶい・重だるい
・喉の不調:乾く・ひりひりする・つかえる

「専門的な病名ではなく、素人らしく、首を傾げながら『そんな感じ?』を語るのがコツです」

ある日、会社の若手、古橋廉ふるはしれんが相談にきた。

「……最近、ちょっとしんどくて。1日でいいから休ませてもらいたいんですが、理由が“説明できるほどじゃない”っていうか……」

倉持は静かにうなずいた。

「あるよ。そういう時。理由が説明できないからって、休めないのはおかしいよ」

「でも……サボってると思われたら……」

「それを思わせないのが、“正しい仮病”なんだよ。周りを嫌な気持ちにさせたら、それは失敗だ」

「正しい……仮病?」

「そうだ。そのために常日頃から周りとはきちんと信頼関係を築いておく必要がある」

古橋は、倉持の指導のもと、「朝の声のトーン」「椅子に座るときの動作の重さ」などを学んだ。

「内線に出るとき、0.3秒の“ため”をつくる。それだけで熱っぽさが伝わる」

倉持の語る仮病は、嘘ではなかった。心と体が限界だと自覚したとき、外に伝えるための穏やかな言葉と所作だった。

ある金曜の朝、古橋は「喉の腫れと微熱」を理由に欠勤した。

仮病を疑う人はなく、部署も滞りなく回った。「そういえば、昨日、具合悪そうだったな」と、古橋の同僚がつぶやいた。

午後、ベッドの中で古橋はこう思った。

「これが正しい仮病か……」

倉持の技術は、やがてSNSで静かな注目を集めるようになる。

「#仮病道」「#正しい仮病」「#心を壊す前に一日休む」

動画もある。「自然な倦怠感の出し方」「病欠連絡に使える電話文言・メール文例」

もちろん一部には否定的な声もあった。

「仮病指南なんて非常識だ」「職場の負担になる」

だが、彼のフォロワーは語った。

「本当に休むべき人が、休む勇気を持てるように」

「心の調整の知恵として」

ある日、記者が倉持に尋ねた。

「そこまでして休む“べき”日って、どうやって見極めるんですか?」

倉持はしばらく考えて、答えた。

「朝、コーヒーの香りが嫌なとき。通勤電車が“怖い”と感じたとき。まだ何もしていないのに自然とため息が出たとき。そういう日は、たいてい“休んだ方がいい日”です」

記者はそれを聞き、その日は記事を書かなかった。

代わりに「少し体調が悪い」と、職場に連絡して午後休をとり、母のところへ久しぶりに顔を出した。それはとても、静かで豊かな時間だった。

今日も倉持は早起きをする。しかし、仮病の準備はしていない。でも、「休みたくなるかもしれない自分」のために、言葉と姿勢を整える。いつでも仮病に移行可能だ。

誰にも迷惑をかけず、自分をほんの少し守る方法として。

仮病は芸術ではなく、配慮の技術なのだ。心の非常口を開ける、その鍵の一つとして。

「……さあ、今日は出社しよう。たぶん」

彼は背筋を伸ばし、静かに扉を開けた。

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