通学路の途中で、ふと小さな声を耳にした気がして立ち止まった。
「あの……ちょっと、助けていただけませんか?」
周囲を見回したが誰もいない。気のせいかと思いかけたが、再びか細い声が聞こえた。
「ここですよ、ここ!」
声は僕の足元から聞こえていた。側溝を覗き込むと、なんとそこには小さな男がはまっていた。身長は10センチほどで、服装はまるで童話に出てくる小人のようだ。
「えっ……?」
あまりにも非現実的な光景に、僕は目を丸くしたまま硬直した。
「お願いしますよ! このままじゃ、また雨が降ったら溺れてしまいます!」
彼は焦りながら、小さな腕を伸ばして助けを求めている。我に返った僕は、慎重に指を差し出し、小人を側溝から引き上げた。
「助かったぁ、本当にありがとうございます!」
小人はほっとした顔で僕を見上げ、ぺこりと頭を下げた。
「あの、あなたは……?」
僕が戸惑いながら尋ねると、小人は得意げに胸を張って自己紹介した。
「僕はトト、妖精族の末裔ですよ。最近はあまり人間と交流がなかったけど、久しぶりに街に来たら、側溝に落ちてしまって……」
「えっと、妖精?」
信じがたい話だったが、目の前の存在を否定することもできない。
「そうですよ。あなた、人間にしては親切ですね。ぜひ恩返しさせてください!」
トトはそう言うと、僕のポケットにひょいと入り込んだ。
その日から、僕の生活は大きく変わり始めた。ポケットの中に住みついたトトは、いつも小声で僕にアドバイスをするようになった。
「その問題はこうやれば簡単ですよ!」
テストの時、耳元でトトが囁く。
「その角を曲がらないで、次の道を行ったほうがいいですよ!」
彼の言う通りにすると、少しだけいいことがあったり、小さな事故を回避できた。
彼のおかげで僕の成績は少しだけ上がり、なんとなく毎日気分がよかった。
しかし、奇妙なことも起き始めた。
ある日の放課後、教室でトトがポケットから出てきて、机の上で体操をしているところを、友達のケンタに目撃されてしまった。
「えっ!? お前、その小さいの何? 人形?」
ケンタが驚きながら近寄ると、トトは慌てて隠れたが、時すでに遅しだった。僕が事情を説明すると、ケンタは目を輝かせてトトを見つめた。
「すげぇ! 俺も一緒に暮らしてみたい!」
次の日からケンタがトトに会いに家まで押しかけてくるようになった。さらにトトの存在が噂になり、クラスメイトが興味津々で寄ってきた。
僕は次第にその状況に疲れを感じ始めた。ある夜、僕が困惑していることに気付いたトトが寂しそうに言った。
「ごめんなさい。僕がいると迷惑ですよね……」
僕は慌てて言った。
「迷惑なんかじゃないよ。ただ……ちょっと賑やかすぎて、疲れてしまっただけで」
トトはしばらく考え込んだあと、意を決したように告げた。
「やっぱり僕は森に帰ることにします。そろそろ戻らないといけないとは思っていたんです」
僕は胸が痛んだが、トトの決意を尊重した。
翌朝早く、僕はトトを連れてあの側溝の場所に向かった。
「ありがとう、久々に人間と過ごせて本当に楽しかったですよ!」
トトは笑顔で手を振り、側溝から森へ向かって小走りで去っていった。
僕は少し寂しくなって、何度かトトを呼び止めようとしてしまった。しかしそんなことをしても、いずれ彼は森に帰らなくてはならないことには変わらない。
それに側溝から引き上げた分の恩返しにしては十分すぎるくらいに楽しい日々だった。これ以上甘えてしまってはいけない。
数日後、ケンタが心配そうに尋ねた。
「なあ、あの小人はどうしたんだ?」
僕は何でもないことのように肩をすくめて「もう帰っちゃったよ」と言った。
ケンタはつまらなそうな顔をしたが、僕はそれ以上何も語らなかった。
今でも僕は、通学路の側溝を通り過ぎるたびに、そこにトトの姿を探してしまう。
だけど、もう彼の姿を見ることはない。それでも時折、風が通り抜けるとき、小さな笑い声が聞こえる気がするのだ。
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