深い森の奥、鬱蒼とした樹々の向こうに、古びた城がひっそりと佇んでいる。
その城は数百年前に滅んだ王国の遺物であり、地元の人々からは不吉な噂が絶えなかった。
噂の内容はこうだ。城に入った者はみな、不思議な『笑い声』を聞くという。壁が、床が、天井が、くすくすと楽しげに笑うのだと。
ある日、好奇心旺盛な若い旅人が、この奇妙な噂を聞きつけて城へ向かった。
「壁が笑うなんて、面白いじゃないか」
城に辿り着いた彼は、苔むした門を押し開けて内部へと足を踏み入れた。
廊下を進むと、すぐに不気味な感覚に襲われた。それはまるで、無数の目にじっと見つめられているような気配だった。
旅人が辺りを見回した瞬間――
「くすくす……」
小さな笑い声が、彼の耳に届いた。
「誰だ?」
彼は辺りを見回すが、当然誰もいない。ただ壁の隙間や古びた絵画が静かに佇んでいるだけだ。
「くすくす……ふふふ……」
次第に笑い声は増え、壁や天井、床からも聞こえるようになった。彼は少し怖くなったが、それ以上に興味が湧いた。
「おい、何がおかしいんだ?」
すると壁の一部が突然うねり、まるで顔のような形を浮かび上がらせ、言った。
「だって面白いんだもの」
彼は驚いて飛び退いた。
「壁がしゃべった……!」
壁の顔は楽しげに言った。
「そうよ。私たちはずっと、ここに来る人間たちの驚く顔を楽しんでいるの」
「どうして壁が話せるんだ?」
「この城の主が城に呪いをかけたのよ。私たちは退屈で仕方なかったから、こうして訪れる人間を笑って楽しむことにしたの」
旅人は少し戸惑いながらも、徐々に笑い声に慣れてきた。
「君たちはずっとここで人間を待っているのか?」
「ええ。でも、あなたみたいに冷静に話ができる人は初めてだわ」
彼は少し照れくさくなりながら、笑顔を見せた。
「僕だって驚いたよ。でもそれと同時に興味が湧いたんだ」
すると壁たちは一層楽しそうに笑いだした。
「あなた面白いわ! せっかくだから外の話を聞かせてよ」
彼は城の中を歩き回り、壁たちと会話を楽しんだ。壁は彼に城の歴史や、かつての城主の滑稽な失敗談などを次々と語った。
彼もまた自分の旅の話をした。次第に彼は、壁たちが本当に楽しんでいることに気付いた。
「君たちは本当に楽しそうだね」
「だって楽しいわ! 私たちを怖がらない人間に出会えるなんて、何百年ぶりかしら!」
しかし、楽しい時間はすぐに過ぎ去った。
窓の外は夕闇に包まれ、彼は城を去る時間になった。
「また来るよ」
彼がそう言うと、壁たちは一瞬寂しげに黙った。
「本当に?」
「ああ、約束する」
その日以来、旅人は時折城を訪れ、壁たちと楽しい時間を過ごすようになった。
彼が訪れるたびに、城は生き生きとした笑い声で満たされた。
やがて、城の笑い声は外にも漏れるようになり、いつしか地元の人々もその声を耳にするようになった。
「あの城は不気味だと思っていたが、意外と楽しそうだぞ?」
好奇心旺盛な人々が城を訪れ、壁たちと交流するようになった。いつしか『笑う城』と呼ばれ、人々が気軽に訪れる場所になったのだ。
旅人はある日、壁に問いかけた。
「君たちは、もう寂しくないだろ?」
壁は笑顔で答えた。
「ええ、おかげさまで毎日が楽しくて仕方ないわ。これが私たちが望んでいたことだったのよ」
旅人は満足げに微笑んだ。
「僕は次の旅に出ることにしたよ。ご存知の通り、僕は好奇心旺盛なんだ」
すると壁たちは、またくすくすと笑った。
「そろそろ、そう言い出すと思っていたの!」
「きっとまた遊びに来てね」
壁がくすくす笑う不思議な城は、今では地元の人々の憩いの場となり、訪れた人たちも、みんな笑顔で帰っていった。
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