大学生活にも慣れてきたある日、僕はちょっと変わった求人広告を見つけた。
『黒幕募集:簡単なお仕事です。偉そうに座って、「ククク」と笑うだけ。全身を黒塗りにします。時給1200円。交通費支給』
気になる。「黒幕」という響きと「時給1200円」のミスマッチな響きに負け、僕は気づけば応募ボタンを押していた。
翌日、指定された場所に行くと、小さな雑居ビルの地下室に案内された。薄暗い照明の中、「監督」と呼ばれた髭面の男が、ちらりと僕を見る。
なるほど。映像作品のエキストラみたいなバイトか。
「ああ、新しい黒幕だな。とりあえず、これに着替えて」
渡されたのは真っ黒なローブとマント、それに黒い手袋。さらには顔を黒く塗るための塗料まで渡された。言われるがまま黒ずくめになった僕は、立派な黒幕っぽい玉座に座らされた。
「いいねぇ! 存在感あるよ君!」
監督は満足そうに笑った。背景は壁を黒く塗っただけで、なんとなく安っぽい。
僕は恐る恐る尋ねた。
「あの、僕は具体的に何をすれば?」
監督は軽い調子で答えた。
「何もしなくていい。ただじっと偉そうに座って、『ククク』って時々笑えばいい。それだけ。カンタンでしょ?」
確かに簡単だが、シーンの説明も台本もないし、わけがわからない。撮影が始まると、監督は叫んだ。
「黒幕、クククのタイミングだ!」
僕は指示通り、「ククク……」と低く笑った。その瞬間、スタッフが妙な効果音を口で言い始めた。
「ズドーン! ババーン! ピカーッ!」
実にアナログだ。なぜかスタッフが口頭で効果音を演じている。僕は必死に笑いをこらえながら、玉座に座り続けた。
休憩中、隣の黒子役が小声で話しかけてきた。
「ここの仕事さ、変だと思わない?」
僕はうなずいた。
「実は、ここね、『黒幕を雇っておけば何か起こるだろう』っていう、よく分からない企画なんだよ。監督も何を撮ってるか分かってないんだ」
「え、どういうこと?」
「スポンサーが『黒幕の映像』を求めてるんだけど、ストーリーも目的もなし。ただ黒幕がいれば物語が生まれるんじゃないかっていう、謎の理論らしい」
「黒幕だけいたって仕方ないよ。誰かが何か悪いことをしないと。悪事あっての黒幕じゃないか」
「僕もそう思う」
黒子も神妙な様子で頷いた。
僕は呆然とした。そんなわけのわからない理由で時給1200円払うなんて、世の中どうなってるんだ?
午後の撮影も続いた。僕は何度も「ククク」と笑った。だんだん黒幕としての自信が湧いてきて、態度も堂々としてきた。
監督はその姿を見て喜んだ。
「いいぞ! すごい存在感だ! まさに黒幕!」
しかし数日経っても、この企画の意味が全く分からない。監督もスタッフも、なぜ黒幕がいるのか理解していない。
ある日、僕は監督に訊いた。
「あの、意味が分からないんですけど……」
監督は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「俺も本当に分かんないんだ。スポンサーが『とにかく黒幕を置け』の一点張りでね」
ちょうどその時、背後で笑い声がした。
「ククク……」
驚いて振り返ると、そこには僕と全く同じ格好をした、別の『黒幕』が立っていた。
「え、誰?」
新たな黒幕は悠然と笑った。
「ククク……ご苦労だったな。君はもう用済みだ」
監督が拍手をした。
「ああ、やっと君が来たか。専任の黒幕さん。やっぱり本職は存在感が別格だな」
僕は混乱した。「専任の黒幕」とは?
新たな黒幕は僕の椅子に堂々と座り、効果音スタッフも嬉々として新しい効果音を口で叫び始めた。
「ドカーン! ズズズ……バシュ!」
監督は僕の肩を叩いた。
「君はもう帰っていいよ。本物が来たからさ」
要するに専門職の黒幕のスケジュールが空くまでの代役として雇われていたらしい。少しの間も黒幕を絶やしたくないということか?
ますます意味がわからない。僕は粛々と衣装を脱ぎ、撮影現場を後にした。数日後、バイト代が振り込まれた。きちんと働いた分、そして交通費。不思議な気持ちになった。
あの黒幕企画はその後どうなったのか気になり調べてみたが、検索しても何も出てこない。ただ、時折町で「ククク」という笑い声が聞こえる気がする。
まさかと思い振り返るが、誰もいない。
もしかして、本当に『黒幕』は存在するのだろうか。それともあの撮影はただの夢だったのか。
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