#305 視えぬ男

ちいさな物語

霊能者・桐山一郎はその名を全国に轟かせていた。迷える人々に救いの言葉を与え、霊を視る能力を持つと言われていた。予約は数年先までいっぱいになり、それでも相談したいという者が後を絶たなかった。

「あなたの背後に憑いている女性の霊ですね。彼女は寂しがっていますが、決して悪い存在ではありません。お姉さん……を亡くされていますね?」

ある日、訪れた女性にそう告げると、彼女は涙を流しながら「姉が……?先生、ありがとうございます」と頭を下げた。周囲の誰もが桐山を信じていた。いや、桐山自身も、自分の言葉に信念を持っているように見えた。

しかし、彼には秘密があった。彼は霊など一度も見たことがなかったのだ。

桐山は昔から人の心理を読むのが得意で、ちょっとした仕草や表情、話し方からその人が抱えている不安や問題を的確に推測できた。心理学に精通している彼にとって、それはさほど難しいことではなかった。

やがて人々が彼を「霊能者」と称するようになった。彼自身はちょっとした遊びのつもりで言ったことが、本当のようになってしまって戸惑ったが、相談者たちが次々と救われていくのを目の当たりにし、そのままこの役を演じ続けることを選んだ。

そう、彼は霊能力者を演じるただの心理カウンセラーだったのだ。

しかし、ある日を境に状況が変わり始めた。

桐山の前にある日、見知らぬ男性が現れたのだ。その男はまったく表情がなく、静かに言った。

「あなたには、本当に霊が見えているのですか?」

桐山は内心ひやりとしたが、冷静を装って答えた。

「もちろんです。あなたにも何かお悩みが?」

すると男は小さく笑い、そして耳元に囁いた。

「なら、あなたの後ろに立つ『それ』は何ですか?」

背筋が凍るような感覚を覚えた桐山は落ち着いた様子をよそおい振り返るが、もちろん何もいない。

男は静かに言葉を続ける。

「今まであなたは、霊が見えないまま多くの人の霊について語ってきました。しかし、本当に霊が見えない人間が霊を騙ると、本物の霊が寄ってくるんですよ」

桐山は焦りを隠せなかったが、何とか平静を装い続け、その日はやり過ごした。

だがそれから毎晩、桐山のもとには奇妙な現象が起こり始めた。

深夜、寝室のドアが静かに軋みながら開いたり、誰もいないのに肩を叩かれる感触を感じたりした。最初は気のせいだと自分に言い聞かせたが、次第に現象はエスカレートしていった。

ある晩、ついに鏡の前で髪を整えていると、背後にぼんやりとした人影が現れた。それは透き通るような姿で、桐山をじっと見つめていた。

「……ああ、あなたにも、私が見えるようになったのね」

霊の口から出たのは、明らかに人間の女性の悲しげな声だった。桐山は恐怖で身体が震えたが、霊はそれ以上何も言わず、静かに消えていった。

翌日から桐山は次々と霊を目にするようになった。彼らは何も語らず、ただ静かに桐山を見つめるだけだった。

やがてあの男が再び現れた。

「霊が見えるようになりましたね?」

男の問いに、桐山は観念したように深く頷いた。おそらくこの男は本当に視える側の人間なのだ。隠し立てをしても無駄だろう。

「なぜ……私にこんなことが起きるのですか?」

男は穏やかに答えた。

「霊はね、嘘を許さないのです。あなたはこれまで多くの霊の声をでっちあげてきた。その結果、本当に姿を現すようになったのです」

桐山は絶句した。

「そんなことが――ありますか?」

「――あるのですよ」

霊は一度見えるようになると、もう二度と消えないのだとその男は言った。何が目的かはわからないが、呪詛のような言葉を吐いて、姿を消し二度と現れなかった。

今後は霊たちの本当の言葉を聞かなければならない。それがどれほど重いことか、彼はようやく理解した。

それから彼の霊視は本物となり、霊たちの切実な声に耳を傾けなければならなくなった。しかし、現実の霊は彼が語ってきたように穏やかでも救いの言葉を囁く存在でもなかった。霊は哀しみ、怒り、恨みを抱えていた。彼らの悲痛な叫びを日夜聞かされるうちに、桐山は次第に精神を病んでいった。

ある日、桐山は常連の相談者の相談を受けていた。何年にもわたり、高額の相談料にさらに上乗せをして支払ってくれるような上得意だ。

その大切な客にすっかり気弱になった桐山は真実を打ち明けてしまった。

「実はですね、私はずっと霊など見えていなかったんです……」

相談者は一瞬「えっ」と顔を強張らせたが、すぐに穏やかな表情にもどる。

「ああ、やっぱり。実はどうなんだろうと疑ったこともあったんです。でも、先生が言ってくれた言葉で私は随分と救われて……。視えるかどうかはもうあまり関係なくなっていました」

「そう……なんですか……」

桐山は力なく微笑んだ。

その時、桐山の背後でぼんやりとした霊が、悲しそうに彼を見つめていた。桐山にはその霊の気配が確かに感じられ、心の底から恐怖した。

どこでどう漏れたのか、彼の告白は噂になってしまった。それでも桐山に相談にのってほしいという客は多くいたが、桐山はこっそりと姿を消した。そして、ひっそりと暮らしながら、本物の霊たちと毎日対面する日々を送ることになった。

かつて視えると偽っていたときは多くの人に囲まれて慌ただしい日々を送っていたが、本当に霊が視えるようになってしまい、孤独な人間になってしまった。しかし、彼の元には多くの霊が集まり彼に様々な相談を投げかけているのだという。

これもただの噂だが、桐山には天性のカウンセリング能力があるようで、今度は霊たちが予約を入れて、何年も桐山の相談に乗ってもらえる日を待っているのだという。霊の中には、順番が回ってくるまで絶対に成仏はできないと豪語している者もいるのだとか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました