その猫は急に現れたんだ。
ベランダでふてぶてしく尻尾を振っているのを見つけたとき、最初はただの野良猫だと思った。だけど、目が合った瞬間、妙な感覚が走った。
「おい。お前、聞いてるか?」
猫が口を開いて言葉を発したとき、心臓が止まりそうになったよ。
「びっくりしてる暇はない。話がある」
猫はまるで当たり前のように続けたんだ。
「俺の名はクロ。お前には地球を守る義務がある」
最初は冗談かと思った。でもクロはどこか威厳があって、冗談で済まされる空気じゃなかった。私が「どういうこと?」と聞くと、クロはあっさりと答えた。
「この星はずっと狙われてる。俺たち猫の一族は、その危険を見張っている。だが、時々人間の力が必要になる」
クロの説明によると、地球は異世界の存在に何度も襲われているらしい。猫たちはその異世界からの敵の侵略を防ぐために、密かに戦い続けてきた。だが敵の攻撃が激化しており、人間の力を借りなければ、もう限界だという。
「――で、なんで私なの?」
「俺たちが選ぶのは、心に強い芯を持つ人間だけだ。お前には見えない強さがある」
「あ、はぁ、へぇ〜」
褒められたような気がして、ついうっかり引き受けることにしてしまった。
翌日から、私とクロは不思議な共同生活を始めた。
クロの指示に従って、私は奇妙な訓練をこなすことになった。公園でカラスと話す方法や、コンビニで人間に紛れた宇宙人を見抜く訓練だ。
クロはとにかく口が悪いが、時々ふと優しさを見せる。それがまた憎めない。
ある日、クロが言った。
「敵の本隊が近づいてる。今夜はでかい戦争になる」
夜になると空に不気味な光が浮かび始め、街のあちこちに異形の影が出現した。
野良猫たちが「ふぎゃー」とあちこちで威嚇の声をあげている。
私は緊張しながらクロとベランダに立った。
「敵ってどんなやつ?」
「姿は見えない。ただし、人の心の隙間に入り込む。つまり、不安や恐怖が奴らの入り口だ」
そう言われると、私の中にも恐怖が芽生え始めた。クロはすぐにそれを察して私をにらんだ。
「自信を持て。お前は俺が選んだんだ」
気持ちを引き締めて、クロが教えてくれた言葉を唱える。猫族秘伝の「守護の呪文」だ。だが呪文は何の効果もなく、光はますます強まるばかり。
「呪文なんかじゃ、やっぱりダメなんじゃ……」
「馬鹿言うな!」
クロが初めて怒鳴った。その目は真剣だった。
「呪文はただの飾りだ!本当に大事なのは、自分を信じる心だ」
私はその言葉に胸を打たれた。そして、もう一度目を閉じ、自分を信じて呪文を唱えた。
すると、体中に不思議な力が湧き上がった。まるで心の中の不安や恐怖が、ゆっくりと消えていくような感覚だった。
その瞬間、夜空の光は砕け散り、異形の影たちが悲鳴をあげながら消えていった。
戦いが終わった後、クロは満足げに頷いた。
「よくやった。やっぱりお前を選んだ俺の目は正しかったな」
私はほっと息をつきながら、クロに尋ねた。
「これで終わり?」
「いや、奴らはまた必ず戻ってくる。だから俺はもう少しお前のそばにいてやるよ」
クロは相変わらず偉そうだったが、その言葉は妙に心強かった。
それ以来、私の生活は少し変わった。目に見えない戦いが続き、クロとの騒がしい日常が当たり前になった。
だが、時々ふとクロの横顔を見ると、少しだけ寂しそうに見えることがあった。
「ねえ、クロ。猫族って、どこから来たの?」
ある晩、何気なく尋ねてみた。クロは空を見上げ、少し黙ってから答えた。
「遠い昔、俺たちは敵と同じ世界にいたんだ。だけど、奴らが侵略を始めたとき、俺たちはこの星を守るためにここに来た」
私は驚いた。
「じゃあ、クロたちは帰れないの?」
クロは苦笑した。
「帰れないし、帰る気もないさ。だって、ここが俺たちの家だからな」
クロはそう言って、くるりとクッションの上に丸くなった。
そして今でも、ベランダに立つたびに私はあの夜のことを思い出す。言葉を話す黒猫が現れ、地球を守る使命を告げてきた夜のことを。
あれ以来、不安を感じることが少なくなった。だって、私のそばにはいつだって、ふてぶてしくも頼もしい、最高の相棒がいるのだから。
コメント