その書庫は、図書館の地下深くにありました。
一般公開されることはなく、特別な許可を得た研究者だけが入ることを許されている場所です。
私はある研究のために、特別に入室を許可されていました。
薄暗い部屋に並ぶ古い木製の棚は、黴のような匂いを漂わせ、時が止まったかのように静まり返っています。
ある日、資料を探していると、書棚の一番奥に見覚えのない小さな引き出しを見つけました。
それは長い年月の間誰にも開けられず、埃をかぶってひっそりと眠っていたようでした。
好奇心を抑えられず、引き出しを引いてみると、中には一通の古ぼけた封筒が入っていました。
封筒には宛名も差出人も書かれておらず、ただ封蝋がしてあるだけでした。
ためらいながらも開封すると、中にはぎっしりと細かな文字が書かれた便箋が数枚入っていました。
手紙の日付は、今からちょうど100年前のものでした。
書き出しはこうです。
『この手紙を読む者へ。これから記すことは決して口外しないように』
奇妙な警告に胸騒ぎを覚えつつも、私は読み進めました。
手紙はある村で起こった出来事について語られていました。
その村は地図にも載らず、名もない小さな集落だったといいます。
そこでは、村人たちが突然、夜になると姿を消してしまうという現象が起きていました。
朝になると何事もなかったかのように全員戻ってくるのですが、消えていた間の記憶は誰にもないというのです。
村人たちは恐怖に怯え、祈祷師や占い師を呼んで原因を探りましたが、誰にもその現象を止めることはできませんでした。
手紙の書き手は、ある旅の研究者で、その謎を解明するために村を訪れたのでした。
研究者は夜通し見張りを続け、村人たちが姿を消す瞬間を目撃しました。
彼らは眠りにつくと同時にまるで霧のように消え、どこかへと引き込まれてしまうのです。
調査を進めるうちに、研究者はあることに気づきました。
村の古い神殿の地下に秘密の書庫があり、その中に奇妙な引き出しがあったのです。
その引き出しの中には村人たち一人ひとりの名前が書かれた小さな人形が入っていました。
夜になると、その人形たちは書庫の外に勝手に飛び出し、まるで遊ぶように動き回っていたのです。
そしてその人形が動き出すのと同時に、村人たちが消える――。
研究者は手紙にこう書いていました。
『私がこの手紙を書くのは、この奇妙な呪いを誰かに引き継ぐためではない。この現象を封じる方法を伝えるためだ』
私は夢中で次のページをめくりました。そこには続きがありました。
『人形は毎夜動き回るが、その人形を破壊してはいけない。破壊すれば、村人たちは永遠に戻らなくなる。その呪いを止める唯一の方法は、その引き出しを封印し、決して開けないことである。これを読むあなたに託す。どうか、この封印を守ってほしい』
私の心臓は高鳴りました。
今、私がこの手紙を読んでいるということは、この引き出しを開けてしまったということです。
急いで引き出しを閉めようとしましたが、なぜか力が入らず、逆に引き出しがとどまろうとするかのように震えだしました。
書庫の周囲の空気が急激に冷え、静かな笑い声が響き渡りました。
振り返ると、暗がりから無数の小さな人影がこちらをじっと見つめているのが見えました。手紙に記された通り、人形たちが動き出していたのです。
私は咄嗟に封筒を握りしめ、「閉まれ!」と叫んで、引き出しを力いっぱい押し戻しました。
ばぁんという大きな音を響かせ、引き出しを押し込んだ瞬間、人形たちの笑い声は消え、書庫には再び静寂が戻りました。
ほっと息をつき、私は手紙を封筒に戻して引き出しに入れました。
なぜ封印を解くなという手紙そのものが、封印された引き出しに入っていたのでしょうか。その警告を読んだ時点で手遅れになってしまいかねません。
そこで私はハッとしました。
この研究者だったという人も、もしかしてこの引き出しの中に……?
私はぞっとして手紙をそこへ置き、書庫から逃げるように出ました。
その日以来、私は二度と書庫に足を踏み入れることはありませんでした。
しかし今でも、時折夢の中であの人形たちが私の名前を囁きながら書庫の引き出しを叩いている音を聞くことがあります。
私は心に決めています。決してあの書庫には戻らない――と。ただの直感ですが、あそこには何らかの悪意の存在を感じるのです。
そして、次にあの引き出しを開ける者がいないことを祈っています。
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