#325 森の宴

ちいさな物語

森の奥で迷ったとき、遠くから楽しげな音楽が聞こえてきました。

導かれるように進むと、そこには奇妙な光景が広がっていました。

私はその日、特に目的もなく森を訪れただけでした。あえて言うなら、ただ日常から逃げたかったのです。

しかしどこかで道を間違えたのでしょう。気がつくと、森の奥深くまで入り込み、見知らぬ場所に立っていました。木々は鬱蒼と生い茂り、わずかな陽の光さえも届かないほどでした。

薄暗い中、立ち尽くしていると、かすかな音が響いてきました。笛や太鼓、笑い声――それは聞いたことのないリズムでした。こんな森の奥に誰がいるというのでしょう。自然と音の方へ足が向かいました。

木々の間から明かりが漏れていました。近づくと、そこには信じがたい光景が広がっていました。

踊っているのは人間ではなく、動物の姿をした者たちでした。鹿や狐、兎に鳥たち。だが、どの動物の目にも不思議な知性が宿り、優雅に宴を楽しんでいるように見えました。

焚き火の周囲には美味しそうな料理や、見たこともない色とりどりの果実酒が並んでいました。

狐が私に気づきそっと近づいてきました。

「ようこそ、人間。我々はこの森を住処とする神です。今日は特別な宴ですから無礼講としましょう。一緒に楽しんでいきなさい」

誘われるままに輪の中へと入った私は、差し出された金色の果実酒を口にしました。ひと口飲むと、不思議な甘さが全身に広がり、心が軽くなりました。

その瞬間から、私の体には異変が訪れました。体はどこまでも軽く、目は遠くまで見通せます。そして、目の前の動物たちの心が、まるで声のように聞こえ始めたのです。驚く私を見て、狐が静かに笑いました。

「あなたは今、神々の飲み物を口にした。これがどういうことか、そのうちにわかるでしょう」

私は狼狽しましたが、果実酒の甘さと宴の楽しさに、その不安はすぐ薄れてしまいました。

宴が終わりに近づくと、鹿が私に優しく告げました。

「人間は住処に戻る時間です」

私は森に迷い込んだときとは違って、森の出口がすぐにわかりました。簡単に道を見通すことができたのです。

それからの日々は苦痛でした。

なぜか他人の考えや感情がはっきりと頭の中に流れ込み、未来の断片までもが見えてしまいます。人々が言葉とは裏腹に抱える嘘や憎しみを知り、やがて私は人と接することが怖くなってしまいました。

気がつけば友人も家族も遠ざかり、孤独が私を蝕んでいきました。すべてはあの宴が原因だと思いました。

私はもう一度あの森を訪れましたが、あの動物たちの気配はどこにもありません。戻ろうとしたところ、森の入口に一匹の狐が現れました。

「森には入れませんよ。あなたはもう、人間でもなく神でもない存在となりました」

狐の言葉に、胸が締め付けられました。そういえば、何も食べなくても生きているし、鏡を見ても年を取っている様子がありません。怪我をしても痛むことなく瞬時に治ってしまいます。とても人間とは思えません。

「私はどこへ行けばいいの?」

狐は淡々と告げました。

「どこにも居場所はありません。簡単に死ぬこともできません。ただその力をうまく利用すればよいのです。これまで宴に参加した人間はみなそうしていましたよ」

狐が森へと消え去ったあと、私は一人で泣きました。私はもう人間として生きることも、当然あの神々にすがることもできないのです。

以来、私は人の住まない森の奥に小さな小屋を作り、誰とも会わず、ただひっそりと暮らしています。

森を眺めるたび、あの日の軽率な好奇心の後悔で胸がしめつけられます。

普通にたくさんの人々と関わりを持って、年を取って、たまに体調不良を起こしたり、気に入らないことにイライラしたり、そんな日常を過ごして死にたかった。

いつか、この力が消える日が来るのだろうか。それまでは、私はここで静かに待つしかないのでしょう。

もうどこにも、私の居場所はないのですから――。

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