「んんー、朝はやっぱりネクタイ締めるの、窮屈だな」
出勤準備でまだぼんやりしている僕が、いつも通りネクタイを締めた瞬間だった。
「ちょっと! もっと優しく締めろってば!」
「ん?」
幻聴かな? 疲れすぎだな、と思っていると、またもや首元からはっきりと声がした。
「だから強く締めすぎなんだって! もうちょっとソフトに頼むぜ!」
思わず二度見。ネクタイが――喋っている?!
「ちょ、ちょっと待って! なんでネクタイがしゃべってるんだよ!」
「驚くなよ~。昨日からお前のクローゼットで待機してたんだぜ? あ、ちなみに名前は『タイ吉』な。よろしく!」
ネクタイが自己紹介? 僕は目をこすり、頬を叩いてみるが現実らしい。
「どうなってるんだよ……」
「まぁ細かいことは気にすんなって! 俺はお前の新しい相棒! 今日から一緒に頑張ろうぜ!」
相棒って言われても困るが、時計を見るともう出勤時間ギリギリだ。
仕方ない、今日はこのまま出かけよう。
僕はカバンを手に取り、部屋を飛び出した。
駅に向かって歩いていると、タイ吉はやたらとおしゃべりだ。
「なぁお前さ、毎朝ぎりぎりだよな~。もう少し早起きしたらどうだ?」
「うるさいな、黙ってろよ……って、ネクタイと喋ってたら周りが怪しむだろ!」
周囲の視線が痛い。慌ててスマホを耳に当て、電話をしているフリをする僕。
「何やってんだよ? 電話ごっこか? お前意外と面白いやつだな!」
タイ吉は愉快そうに笑っている。僕は疲れ始めていた。
満員電車の中、僕はネクタイのしゃべりを抑えるために必死で首元を握った。
「あんまり強く握るなよ! 息苦しいって!」
「お前ネクタイだろ! 息なんかしてないだろ!」
「言われてみればそうだな。じゃあ喋ってても問題なくない?」
「そういうことじゃない!」
周囲の人は怪訝そうにこちらを見ている。僕は額に冷や汗を感じた。
ようやく会社に着くと、タイ吉はさらに張り切り出した。
「お! ここが会社か~! いいねぇ、活気があって! で、どれが上司?」
「黙れ、タイ吉! 会社では静かにしてろ!」
「あ、そっちの怖そうなおじさん? へぇ~、あの人が君の上司ね。任せろって!」
嫌な予感がしたが、すぐに的中した。
部長が近づいてきた途端、タイ吉が突然叫んだ。
「お疲れ様でーす! 部長、今日も髪型バッチリ決まってますね!」
「おい!」
僕の声は完全にネクタイに遮られた。部長はきょとんとして僕を見ている。
「君、何を言ってるんだ?」
「いや、あの……」
するとタイ吉はさらに続けた。
「部長、実はこいつ、昨日徹夜でプレゼン資料作ったんですよ! 褒めてやってくださいよ~!」
部長はニヤリと笑い、「お前、案外面白い奴だな」と肩を叩いて去って行った。
僕は唖然とした。だが同僚たちには好意的に受け取られたらしく、クスクスと笑いが広がった。
その日の仕事はもう最悪だ。取引先との会議では、タイ吉が勝手に割り込み、冗談を連発して場を和ませたかと思えば、調子に乗り過ぎて相手を怒らせそうになる始末。
昼休みになると、僕はトイレで必死にネクタイを外そうとした。
「ちょっと! いきなり乱暴だな!」
「もうお前とはやっていけない! 今日はノーネクタイで過ごす!」
「俺を外したらどうなるかわかってんのか?」
「どうなるんだよ!」
「俺の魔法が解けて、お前は二度とネクタイが締められない呪いにかかる!」
「そんなバカな話あるか!」
「信じるか信じないかはお前次第だぜ? フフフ……」
悪魔のような笑みを浮かべるタイ吉にゾッとして、僕は諦めた。
結局、一日中タイ吉に振り回されてヘトヘトになって帰宅した。
家に着くと、タイ吉はご機嫌に喋り続けた。
「今日一日、楽しかっただろ? お前もそう思うだろ?」
「どこがだよ……俺は疲れたよ」
「まぁそう言うなって! 俺はな、お前が毎日つまらなそうにしてるのを見て、ちょっと楽しくしてやろうと思ったんだよ」
「え?」
意外なことを言われて戸惑う僕に、タイ吉は優しく囁いた。
「人生、ちょっとした刺激がないとつまんないだろ? お前の退屈な毎日に少しでも笑いを提供したかったんだよ」
「あ、そう……だったのか……」
「そうだよ。俺と組めば毎日が刺激的だぜ?」
僕はつい苦笑した。
その日から僕とタイ吉の不思議な共同生活が始まった。
毎日毎日、会社や街中で騒動を起こすタイ吉のおかげで、僕の生活は退屈とは無縁になった。
数週間後、すっかりタイ吉との掛け合いが板についた僕に、部長が声をかけた。
「君、実はうちの会社の漫才大会に出ないか? 君とそのネクタイのコンビなら、絶対に優勝できると思うぞ」
僕とタイ吉は顔を見合わせた。
「相棒、ついに俺たちの出番だな!」
ネクタイに激しく翻弄されながらも、僕の人生は新しい方向へと走り出したのだった。
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