「じゃあ、このページを開いて。今日は江戸時代の終わりから明治時代の始まりについて勉強するぞ」
歴史の授業。いつもと変わらぬ風景のはずだった。俺は教科書を開き、指定されたページを見た。
——そこで、目が止まった。
『江戸幕府は宇宙進出を試みたが、技術的問題により失敗。これにより維新派の怒りを買い、明治維新は予定より100年遅れることとなった』
「……は?」
思わず声が漏れた。
「どうした?」
先生が俺を見た。クラスメートたちも怪訝そうな顔をしている。いや、違う。みんな俺を見て怪訝そうな顔をしているのだ。
「先生、これ……何ですか?」
「何って、江戸幕府の宇宙進出の話だが?」
いやいや、そんな話、聞いたことない。
「先生、冗談ですよね? 江戸時代に宇宙開発なんて……」
クラスがざわついた。隣の席の山田が小声で言う。
「お前、何言ってんの? そんなの常識じゃん。まだ寝てんのか?」
教室中がドッとのどかな笑いで満たされる。俺はあわててページをめくった。
『徳川幕府の宇宙開発計画は、「天翔計画」と呼ばれ、長崎に建設された宇宙港から発射を試みた。最初の乗組員は西郷隆盛と坂本龍馬であったが、打ち上げは失敗した。この事件をきっかけに、倒幕運動が加速した。』
もう意味がわからない。西郷隆盛と坂本龍馬が宇宙開発計画? そんな歴史、習ったことがない。いや、そもそもありえない。
江戸の町が当時としてはかなり優れた都市機能を持っていたことは知っている。しかし宇宙開発なんて……。
「先生、この歴史……変じゃないですか?」
「何が変なんだ?」
先生は本気で言っている。クラス全員も俺を不審そうに見ている。まるで、俺だけが間違っているかのように。
俺は慌ててスマホを取り出し、「江戸幕府 宇宙開発」と検索した。だが、どのサイトを開いても、同じような内容しか出てこない。「明治維新は天翔計画の失敗による」——まるで、この世界の歴史が最初からそうであったかのように。
「先生、本当にこんな歴史があったんですか? 俺の知ってる歴史と全然違うんですけど……」
「君はどこかで変な影響を受けたんじゃないか?」
先生の目が鋭くなった。
「いいか、教科書には今のところ事実とされていることが書かれている。もちろん研究が進めば訂正されることもある。――だが、一部のSNSや動画投稿サイトで流されている、いわゆる『都市伝説』みたいな話を安易に信じ込んではいけない。今のうちから情報のソースをあたって確認する癖をつけることが重要だぞ」
クラスメートたちも神妙な顔で頷いている。話はもっともだが、今の俺の状況はそういうことじゃない。俺は喉の奥がひやりと冷たくなるのを感じた。
——ここは、俺の知っている世界じゃないのか?
違和感が次第に大きくなっていく。
ふと窓の外を見ると、空には何か巨大な人工物がいくつか浮かんでいた。
それは、まるで……宇宙ステーション? いや、江戸時代の宇宙開発の名残?
高い塔のようなものが、何本か空へ伸びていて、SF作品で見た宇宙エレベータみたいだった。
「……俺、ここにいるべきじゃないのかもしれない」
自分の手を見る。震えていた。記憶がねじ曲げられているのか、それとも——そもそも、俺が異世界に迷い込んでしまったのか?
誰も俺の違和感を理解しない。俺は静かに教科書を閉じた。
もしかしたら——この世界の『正しい歴史』を、俺だけが知らないのかもしれない。
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