共和国の独裁者デメトリオス三世は、ある朝突然叫んだ。
「トーストが国家転覆を狙っている!」
誰もが耳を疑ったが、独裁者の命令は絶対である。
即座に全国民にトースト禁止令が布告され、各家庭に配布されたパンの焼き加減確認官たちが、毎朝抜き打ちで各家庭の食卓を訪れることになった。
トーストに似た何かを持っているだけで尋問され、刑務所はすぐに満員になった。
だが、市民たちはそれほど動揺していなかった。実はこれはよくあることだったからだ。共和国の独裁者がこのような不条理な政策を打ち出すのは、今回が初めてではなかったのだ。
去年は「猫が夜な夜な秘密集会を開いている」として全国の猫が集められたし、一昨年は「時計の秒針が自分の悪口を言っている」として秒針だけを没収させたこともあった。
人々は諦め半分、興味半分で今回の騒ぎを眺めていた。朝食はトースト以外のものを食べればよいだけのことである。これまでの不条理に比べれば、簡単な話だった。
しかし、今回の騒ぎはいつもと少し違った。
なぜか独裁者が日に日に怯え始め、国営放送で毎晩トーストの危険性を必死に訴えるようになったのだ。
「トーストは危険だ! 奴らはカリッと焼かれることで心に闇を宿し、バターという潤滑剤を用いて我が国に浸透しようとしている!」
「トーストは必ず国家を転覆させるぞ!」
そんな放送が続くうちに、国民の間で奇妙な現象が起き始めた。
なんと、「トーストこそ救世主」と信じる謎の団体が急激に増殖したのである。トーストが独裁者を倒すキーになると思い始めたのだ。
『トースト友愛会』と名乗る団体は、トーストの肖像を掲げたデモを繰り返し、政府庁舎前でパンを焼いて抗議活動を行った。彼らは口々にこう叫んだ。
「我々はカリカリを求める!」
「パンを焦がす自由を!」
焦った独裁者デメトリオス三世は、トースト値を設定した。これはパンの焼き加減を数値化したもので、値を超えると、それはパンから「トースト」になったと判断される。
パン屋の焼き加減を極限まで監視し、トースト値に達した場合はその場で逮捕する命令を下したが、パン屋たちは密かに地下に秘密の釜を設置しトーストを焼き続け、闇市場でカリカリのトーストを売りさばいていた。
トースト禁止令から一ヶ月後、デメトリオス三世は首都広場で国民の前に立ち、涙目でこう語った。
「我々はトーストに敗北しつつある。しかし私は最後まで抵抗するぞ! 私の意志は決して揺るがない!」
その直後、舞台裏に控えていた料理人が、焼きたてのトーストをトレイに載せて彼に近づいた。
「お待たせしました、閣下」
「おお、これは美味しそうだ」
自然にトーストを手に取った瞬間、広場に沈黙が訪れた。独裁者ははっと我に返り、トーストを床に投げ捨てる。警護官が即座に拳銃でトーストに風穴を開けた。
「危ない! あと少しで洗脳されるところだった!」
国民はそれを見て笑い転げた。
それ以来、独裁者が広場で演説するたびに、誰かが遠くからトーストを投げ込んだり、トースターを片手に追いかけたりした。
彼の警護官たちはトーストを防ぐための訓練を受け、トースト防御術という妙な格闘技まで生まれた。
やがて国民の間では、独裁者をトーストで驚かす遊びが流行った。独裁者が現れるたびに市民はトーストを掲げて歓声をあげ、彼はますますパニックに陥った。
ついには耐えられなくなった独裁者が国営テレビで訴えた。
「トーストが今まさに国を滅ぼそうとしている」
しかし、国民はますます楽しんだ。
やがて独裁者は精神的に疲れ果て、トーストが現れることを恐れて宮殿の一室に引きこもった。
数週間後、政府のスポークスマンが神妙な面持ちで国民に告げた。
「閣下はトーストのない国へ亡命されました」
街中が歓喜の渦に包まれ、人々はトーストを掲げて街を練り歩いた。共和国には平穏が戻り、誰もが自由にパンを焼き、好きなだけトーストを食べた。
数ヶ月後、新政府が成立したが、なぜか首相はこう宣言した。
「本日よりパンケーキを国家反逆罪とする!」
市民たちはそれを聞いて顔を見合わせたが、すぐに笑って肩をすくめた。
「まあ、いいか」
国民はもはや、この国が真面目に機能することを諦めていたのである。
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