#354 氷の奥で眠るもの

SF

その氷層は、南極の無人地帯にひっそりと眠っていた。

調査隊が偶然に掘り当てた、地表から深さ約百二十メートルの地下空間。気温は常に氷点下八十度を下回り、人が簡単に足を踏み入れることを許さない場所だった。

調査隊のベテランたちは、その地下空間の存在を確認するとすぐに撤退を決めた。

しかし、その決定に異を唱えた若い研究者、エリックがいた。

エリックは好奇心が旺盛で、未知なるものに強く惹かれる性格だった。彼だけが深部までの探査を申し出た。隊員たちはためらったが、彼の熱意に負け、時間を限って探索を許可した。

エリックはロープを頼りに、氷に覆われた細い縦穴を降りていった。

狭い通路を抜けると、突然視界が開け、そこには想像を絶する景色が広がっていた。

巨大な地下空間は、まるで凍りついた大聖堂のようだった。

天井からは鋭く尖った氷柱が無数に垂れ下がり、壁は半透明の青白い氷で覆われていた。周囲を照らすライトの光が、氷の層に反射して幻想的に揺らめいている。

「美しい……」

エリックは息を呑んだ。

だがすぐに、視線はその空間の中心に惹きつけられた。

そこには厚さ三メートルはあろうかという巨大な氷塊があり、その中に何かが閉じ込められていたのだ。

人の形をしているようだが、どこか違和感がある。

エリックは慎重にその氷塊に近づき、懐中電灯で照らした。

それは確かに人のように見えたが、細長く伸びた手足や、異常に大きな目など、明らかに人間とは異なっていた。

肌は淡く青白く輝き、その目は閉じているのに、今にも動き出しそうな生々しさがある。

「これは……何だ?」

彼の心臓は強く鼓動を打った。

すると突然、エリックの無線機が鳴った。

『エリック、状況を報告しろ。時間だ、戻れ』

上司の声だ。

エリックは迷った。彼は強い衝動に駆られ、氷の塊に触れてみたくなったのだ。

意識せず伸ばした手が、冷たい氷の表面に触れる。

その瞬間、頭の中に強烈なイメージが飛び込んできた。

それは、遠い昔、この場所に降り立った「何か」が氷の中に封じられるまでの映像だった。

エリックは眩暈を覚え、その場に倒れ込んだ。

目を開けると、頭上には変わらず氷柱が垂れ下がり、静寂が広がっていた。

しかし、氷塊の中の「それ」の目は、先ほどとは違い、ゆっくりと開かれていた。

大きな瞳はエリックを見つめ、何かを訴えかけるように揺らいでいる。

エリックは恐怖よりも好奇心が勝り、必死で氷塊を割ろうと試みた。

手持ちの工具を使って氷を削り始める。

氷の破片が舞い散り、徐々に「それ」が露わになっていく。

しかし、氷の薄くなったその瞬間、「それ」は静かに、だが鮮明に声を発した。

『我々は、解き放たれてはならない存在だ』

声は頭の中で直接響いた。エリックは動きを止め、息を呑む。

『君たち人類が忘れ去った過去の過ち。再び目覚めれば、同じ歴史が繰り返されるだけだ』

「どういうことだ? 君は一体……」

問いかけても「それ」は答えなかった。

代わりに、氷の壁に記憶のような映像が映し出された。

かつて栄えた古代文明、彼らは高度な技術を持ち、宇宙の真理に迫っていた。しかし、その技術はやがて文明を滅ぼし、地球は深い氷の時代に飲み込まれた。

そして、滅びの引き金となったのが、氷の中に閉じ込められた「それ」だったのだ。

『私を再び封印しなければ、君たちの世界は再び同じ運命をたどる』

エリックの身体が震え始めた。

好奇心が招いた過ちに気づき、彼は慌てて氷を再び固めようと試みた。

しかし、一度開かれた氷は再び閉じることを拒んだ。氷の亀裂が徐々に広がり、「それ」は氷の外へと滑り出るように解き放たれた。

「しまった……」

『君に感謝する。だが、これは決定された運命だった』

言い終えると、「それ」は空間の奥へとゆっくり消え去った。

エリックが地上に戻ると、仲間は全員無事だったが、氷層の入り口は崩落していた。

あの地下空間に戻ることは、もう不可能だった。

それから数日後、世界中で異常な気象現象が起こり始めた。温暖だった地域が突然極寒に見舞われ、人々は戸惑い、恐怖した。

エリックだけがその真相を知っている。

だが、誰にも言うことはできない。自分が開けてしまった「パンドラの箱」の責任を、彼は一人背負い続けた。

南極の深部、凍りついた大聖堂の奥で眠っていた存在。人類の運命は再び、その手に委ねられようとしていた。

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