#355 誰も知らない

ちいさな物語

「なあ、これ見てみろよ」

俺たちはスマホの画面を順番に覗き込んだ。山奥のキャンプ場の写真。週末に集まれるメンバーで遊びに行った。

社会人になっても続く数人のグループで、たまには自然に触れようと計画した、いつもの遊びの延長。それには確か五人で行ったと記憶していたのだが……。

誰かが撮った写真には、焼きマシュマロをかざしてはしゃぐ俺たちの姿が映っている。問題は、その写真の端に、見覚えのない人物が写っていたことだ。

黒いパーカー、長めの髪、うつむき加減の横顔。小さくぼやけていて、顔ははっきりわからない。だけど、その人物の存在だけは、どうしても無視できなかった。

「………これ、誰だ?」

「知らない」

「でもほら、こいつ焚き火の真横に座ってるよ」

「……え? こんなヤツいたか?」

皆で何度も顔を見合わせ、頭の中の記憶を総ざらいした。けれど、その夜いたのは自分たち五人だけだったと、全員が断言した。

焚き火の横なんかにいて、気づかないわけがないので、意味がわからなかった。

一人が冗談めかして、「お前ら、酔っぱらって覚えてないだけじゃないの?」と笑ったが、その声もどこか不安げだった。誰の記憶にも、その黒いパーカーの人物はいないのは確かだったのだ。一人とか二人とかが、酔っ払い過ぎて覚えてないというレベルではない。

「やっぱり気になるよな、その写真」

「……もしかして、消したほうがいい写真、なのかな?」

「いや、もしかしたら別のメンバーの知り合いかもしれない。グループトークに送ってみよう」

その意見に全員が賛成した。今回キャンプに参加していないメンバーも入っているグループトークに写真が投稿されると、ほどなくして「この人誰?」という返信が続いた。やっぱり誰一人、その人物のことを知らないようだった。

それから数日が過ぎたころ、LINEのグループにひとつ、奇妙なメッセージが届いた。

「みんな、あの写真、保存した人は削除してくれない?」

送り主はマサキだった。普段は冗談ばかりの彼が、どこか切羽詰まった口調だった。その後すぐ、「ごめん、やっぱりなんでもない」と追加されたのが、余計に気味が悪かった。

週末、俺たちは都内のカフェで再会した。話題は自然と、あの写真のことになる。

「あの写真さ、消した?」

「一応消したけど、なんかまだ気味が悪いよな」

「実は……俺、今週ずっと変な夢を見るんだよ。あの人が出てくるんだ。顔はぼやけてるけど、こっちをじっと見てて……」

すると、別の一人も重い口を開いた。

「それ、俺もなんだよ。誰だか思い出せないけど、すごく大事なことを忘れてる気がして、朝起きるとぐったりしてる」

みんなが顔を見合わせる。あの夜、何があったのか。本当に五人で行ったのか。記憶が奇妙に力でねじ曲げられているような違和感が残る。

「……なあ、最初に写真撮ったとき、誰がシャッター押したんだっけ?」

「……え?」

「タイマーだろ? だって全員……とプラス一人写ってるし」

「いや、誰か外にいたよな? それがあの人なんじゃ……」

「いやいや、それはおかしいだろ。そうなると全部で七人になるぜ?」

そのとき、グループLINEに新しいメッセージが届いた。

『みんな、おつかれ。次のキャンプはいつにする?』

送り主はリョウ。だが、メンバー一覧を見ると、リョウのアイコンがない。代わりに、知らない名前と、黒いパーカーの人物がうつったアイコンがひとつ追加されていた。

「おい、これ……」

スマホの画面を囲む俺たちの間に、冷たい空気が流れる。

「なあ……おい。リョウって、どんな顔だっけ?」

「え? あれ? リョウってそもそも……」

「おい……リョウって誰だよ?」

誰かがぽつりと呟いた。だが、その瞬間、誰もリョウの顔を思い出せないことに気づく。記憶が、急速に曖昧になっていく。

「もしかして……俺たち、誰かを山に置いてきた?」

「六人でキャンプに行って……その、リョウってヤツを山に置いてきたのか」

「いや、だからリョウって誰だよ。誰も知らないんだろ?」

ぞっとする沈黙。

俺たちは五人でキャンプに行ったのか、六人だったのか、それとも――最初から、その黒いパーカーの人物が、ずっと、俺たちの中にいたのか。

思い出そうとすればするほど、記憶がぼんやりと靄に包まれていく。確かなことは、あの写真に写った「誰か」を、誰一人、思い出せないということだけだった。

静かな恐怖が、じわじわと日常を侵食していく。

やがて俺たちの間で「誰か」が話題にのぼることはなくなり、写真もグループトークも削除された。

時間だけが流れていく。

だが、ときどき――ふいに、思い出すのだ。
 
あの夜の輪の中、焚き火の影で、じっとこちらを見ていた「誰か」の存在を。

それが、誰だったのかは、もう、誰にも分からない。

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