#362 迷宮の宝

ちいさな物語

迷宮の奥へ進むたび、空気が冷え込み、静寂が耳を刺す。だが私は剣を握りしめ、歩を止めなかった。いまさら引き返すことなどできない。

目指すは、どんな病をも癒やすという伝説の宝――。病みついた妹のために絶対に必要なものだった。

三日前、村の酒場で老騎士が語った言葉が始まりだった。

「迷宮の奥には、どんな病にも打ち勝ち、不老不死を約束する宝が眠っている。だがそれを守る怪物に挑み、生きて戻った者はいない」

村人たちは古臭い伝説だと笑い飛ばしていたが、私はそれにすがるしかなかった。

地図も無く、誰にも歓迎されぬその迷宮に、私は一人で挑むことを決意したのだった。

迷宮はまるで生き物のようだった。

壁にはびっしりと刻まれた奇怪な模様が脈打つように光り、通路は毎回様子を変える。落とし穴、動く壁、呪文で封じられた扉――命を削るような罠が、執拗に行く手を阻む。

そんな中、私は奇妙な仲間に出会った。

風の精霊を宿す聡明なフクロウ「ピオ」だった。私が崩れ落ちた瓦礫の中で気を失ったとき、ピオは私の耳元で囁いた。

「あなた、まだ歩けるよ。風が道を示してる」

ピオの導きで抜け出した先には、剣を振るう巨大なミミズ型の怪物ドレイナとの死闘が待っていた。その皮膚は岩のように硬く、剣が通らない。

「目を狙って」とピオが叫ぶ。

私は跳躍し、剣を逆手に持ち、ドレイナの巨大な一つ目に刃を突き立てた。その瞬間、狂ったような叫び声とともに、ドレイナは地中へと逃げ帰っていった。

傷だらけになりながらも、私はさらに進んだ。

迷宮の深部で出会ったのは、顔を仮面で隠した案内人の少年だった。名を「ミレイ」という。無口な彼は、手に不思議な灯りを宿すランタンを持っていた。

「このランタンが光を失うとき、あなたは本当の敵と出会う」

その言葉の意味がわかるのは、まだ先のことだった。

迷宮の中心部には、巨大な金属の扉があった。その前に座っていたのは、ごく普通の戦士だった。だが、戦士が顔をあげた瞬間に見たその目は、狂気に満ちていた。

「これが宝を求めた者の末路だよ。俺は、あの怪物と戦って心を喰われた……」

彼は剣を構え、私に襲いかかってきた。壮絶な戦いの末、私は彼の剣をはじき飛ばし、剣の柄で彼の動きを奪った。

「俺を……制してくれて……ありがとう……どうか、これを」

彼の手の中には、古びた鍵が握られていた。

私はその鍵で扉を開けた。重々しい音と共に開かれた先には、無限の闇が広がっていた。

「来たね」

その声は、迷宮に入って以来、初めて聞く女の声だった。

ミレイが「こいつだ」と囁き、ランタンの灯りがすっと消える。

闇の中から現れたのは、私とそっくりな姿をした女――だが、彼女の目は漆黒に染まり、歪んだ笑みを浮かべていた。

「私はお前の影。お前が捨ててきた恐れ、怒り、嫉妬、すべてが私」

彼女は鋭く、執念に満ちた剣を振るってきた。その一撃一撃が、私の弱さを突くように鋭く、重く、心をえぐる。

だが私は叫んだ。

「それでも! それでも私は前に進む!」

私は、妹の顔を思い出した。迷宮へ来たのは、彼女の病を癒す伝説の宝を手に入れるため。簡単には引けない。

その瞬間、私の剣が光を帯びた。影の女と剣を交えるたび、光と闇が交錯し、部屋が震える。

最後の一閃。

私は影の自分を貫いた。その瞬間、女の姿は砕け散り、光の粒子となって私の胸に吸い込まれていった。

そこには、小さな宝石が残っていた。光を内包したその宝石には、脈打つような温かさがあった。

「これが……伝説の宝……?」

ミレイが「そのとおりだよ」と、静かに頷いた。

「それは、真に自分と向き合った者にのみ現れる心の核だ。あなたには、それを持つ資格がある」

私は頷き、宝石を胸にしまった。それは不思議なことに自分の胸に溶け入るようにして消えてしまう。

あわてる私にミレイは「大丈夫。形は必要のないもの」と、ほほえんだ。

迷宮の出口は静かだった。村に戻ると、妹は熱も咳も消えて、元気になっていた。

「兄さん、どこに行ってたの?」

「――ちょっとした冒険さ」

私はそう言って笑った。

――そして今も、誰かがまたあの迷宮へと足を踏み入れる日を、私は遠くから静かに見守っている。

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