大学を出て、久しぶりに地元に戻ったのは夏祭りが近い頃だった。
懐かしい町並みに、見慣れないカフェだけがひときわ目立っていた。
ふと立ち寄ったその店で、俺は信じられない光景を目にした。
カウンターでアイスコーヒーを注文しているのは、高校時代に交通事故で亡くなったはずの拓也だった。
「た、拓也……?」
思わず声が震えた。
彼は振り返り、ごく自然な笑顔を見せた。
「おお、久しぶり! もうすぐ帰るって聞いて待ってたよ!」
背筋が冷えた。
「いや、待てよ、お前、高校のときに死んだんだよな?」
拓也は怪訝そうに眉を寄せる。
「何言ってんだよ。俺はずっとここにいるぞ? 冗談キツいな。そうだ。昔みたいにみんなで祭りを見に行こうぜ。また連絡する」
そう言い残し店を出ていった。
俺は混乱したまま帰宅したが、母の様子もおかしかった。
「おかえり。拓也君には会った?」
「拓也は高校で亡くなったろ?」
母は急に顔をくもらせた。
「やだ、あんた。そういう冗談はよくないわよ。拓也君とケンカでもしたの?」
おかしいのはこっちの方なのか……。釈然としない。
それから数日、俺以外の誰もが、拓也がいることを普通に受け入れていることに気づいた。
だが、拓也が亡くなったことは鮮明に記憶に残っている。わりと仲がよかっただけにかなりショックだった。あれは全部夢だったのだろうか。
なんだか全世界に騙されているような――変な焦燥感でおかしくなりそうだった。
ある晩、公園のベンチで頭を抱えていると、見知らぬ男が隣に座った。
「何かがおかしいと感じているようだね」
男の穏やかな声に俺は顔を上げた。
「誰?」
男は静かに微笑む。
「君が見ている現象は、この世界で稀に起こるバグのようなものだ」
「バグ……?」
「宇宙は広大だが完璧ではない。時折、生と死の境界線が曖昧になるエラーが起きる。ただ、それは普通、人間には認識できないものだが……君はなぜかそれを見抜いてしまった」
男の言葉は奇妙に説得力があり、俺の背筋はぞくりと震えた。
「その『バグ』を認識する者は、宇宙の秩序を乱す存在として、やがて排除される。免疫細胞が病原菌を排除するみたいにね」
男は警告するような視線を向けた。
翌日、俺は幼馴染みの玲奈に相談しようと家を訪ねた。
だが玲奈は俺の話を聞くと怯えたように震え始めた。
「お願い、その話はやめて……」
玲奈の怯えた目に、背後からのぞき込むような奇妙な影が映った気がした。
夜、家に帰ると、異様な気配を感じた。
振り返ると、町の人々が無表情に立ち並んでいる。
拓也が一歩前に出たが、彼の瞳はもはや何も映していなかった。
「お前、俺が事故に遭って死んだって思ってるんだろ? それ、バグだから」
拓也の声には、感情がなかった。バグを抱えている人間は、バグそのものを認識できないのだろう。拓也が口にしているのは、別の何かが彼を操っているからに違いなかった。
「お前ら……何なんだよ?」
拓也の口が不自然に開き、低く歪んだ声が漏れ出した。
「消すしかない」
俺は反射的に逃げようとしたが、全身が金縛りにあったように動かない。
人々がゆっくりと近づいてくる。拓也の顔が徐々に歪み、異様なものに変わっていく。
その瞬間、空から強烈な光が降り注ぎ、人々の姿がゆっくりと消えていった。
俺は気を失い、目が覚めたときには自宅のベッドの上だった。
町は普段どおりで、何も変わっていなかった。
外を見ると拓也が道を歩いている。
「あれ? 俺、何かを忘れているような……」
小さな違和感が頭をよぎったが、すぐに消えていった。
宇宙は広く、完璧ではない。だがそんな小さなバグは、誰にも気付かれないまま、ひっそりと修正されていく。
そして今日も、この町は何事もなかったかのように日常を繰り返している。
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