#374 花火大会の奇談

ちいさな物語

もしよかったら、ちょっとだけ私の話を聞いてくれませんか。あの夜、今でも夢か現実か分からないくらい、不思議で忘れられない出来事だったんです。

もう何年も前の夏、私は2歳になったばかりの息子を連れて、市の花火大会へ出かけました。

夫は数年前に事故で亡くしていたので、母子ふたりきり。

それでも息子にはいろんな経験をさせてあげたいと思って、私なりに精一杯おしゃれして、息子にも新品の浴衣を着せました。

息子は「はなび、はなび!」と大はしゃぎで、私はそれを見るだけで幸せを感じていました。

花火大会の会場は、予想以上の人だかりでした。

私は息子の手をしっかり握り、人混みをかきわけて、なるべく見やすい場所を探して歩き回っていました。川沿いが見やすいので、川に沿って歩いていたのですが、なかなかいい場所は空いていません。

ようやくちょっとした人の隙間を見つけて、少し強引に息子と並んで花火を眺めはじめました。隣の男性に少し睨まれてしまいましたが、それくらいでへこたれては「お母さん」はやっていけません。

すると突然、背後から若い男性に腕をつかまれたんです。

驚いて振り返ると、二十歳そこそこの細身の男性が私を見つめていました。

「もっとよく見えるところがあるんです。案内します」

男性はそう言うなり、私の腕をぐっと引っぱったんです。

私はとっさに「結構です。やめてください!」と叫びました。でも、彼の力は私の想像よりはるかに強く、逆らうこともできずに引きずられるようにして歩道橋の階段のあたりまで連れて行かれました。花火はまったく見えません。

正直、頭の中は「この人、危ない人かも」「犯罪に巻き込まれるのかも」と不安と恐怖でいっぱいでした。

息子も「まま、まま」と泣き出してしまい、私は必死で「やめてください! 助けて!」と叫びました。周りの人は花火に夢中で誰も助けてくれません。

それでも男性は無表情なままでぞっとしました。

「いいですか。絶対にここにいてください」

その瞬間でした。

ものすごい爆音が鳴り響いたのです。明らかに通常の花火の音ではありません。さっきまで私たちがいた川沿いの場所で、花火の暴発事故が起こったのです。

火花が降り注ぎ、会場は人の悲鳴と爆発音で何が起こっているのかわからないほどです。

ちょうど私たちがいた川沿いは大混乱ですごい悲鳴があがっていました。後から聞いた話ですが、花火で火傷を負った人たちや、逃げようとして将棋倒しになった人たちなど、多くの犠牲者を出した事故だったそうです。

救急車のサイレンが響き、何人もの人が倒れて運ばれていきました。私は呆然として、ただ息子を胸に抱きしめていました。

頭がついていかないまま、私はハッとしてさっきの若い男性を振り返りました。でもそこにはすでに誰もいなかったのです。周りを探しても見つかりませんでした。

家に帰ってからも、私は放心したまま息子を抱きしめていました。

でも、何度も頭の中でその男性の顔を思い出してみると、不思議な既視感があるんです。どこかで見たような、懐かしい顔。

その男性の横顔が、数年前に亡くなった夫にどこか似ていた気がするんです。それは、息子が大人になったらこんな風になるのかな、とふと想像してしまうような、不思議な親しみのある顔。

「もしかして、この子が未来から助けに来てくれたのかな」

そんなバカな、と思いながらも、あの夜の出来事を考えると今でも胸が熱くなります。

そういえば、数年後に「花火大会の惨劇」というようなタイトルでドキュメンタリー番組が放送されていました。

驚いたことにそこには顔に痛々しい火傷の跡が残ったある人物がインタビューに答えていました。

「ええ。子供を連れて、隣に強引に入ってきたので、ちょっと睨んじゃったんですよね。そのせいじゃないとは思うんですけど、何かあわてるような感じでそこから走り去ってしまって――いえ、女性と子供だけでした。ええ、ええ、そうです。暴発を予知していたみたいな動きでした。直後に暴発しましたからね」

そう。あの川沿いで睨んできた男性だ。しかし、私を連れ去ったあの若い男性の姿が見えていなかったということだろうか?

テレビ画面に「花火の暴発を予知していた謎の女性?」と、テロップが踊り、思わず苦笑してしまいました。どうやらあまり真面目な番組ではなさそうでした。

もちろん、本当のところは分かりません。

ただ、あの日、強引に引っ張ってくれる誰かの存在がなかったら、私は今ここで息子と笑っていられなかったのは確かです。

だから今でも、花火大会の季節が来ると、私はふと夜空を見上げてしまうんです。

「今年も、私たちを見守っていてくれるかな」

夫と、そして未来の息子がきっと守ってくれる。──それだけは、今も信じていたいんです。

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