なんでこんな状態になっているかって? とりあえず話を聞いてよ。俺さ、昔から日記をつける習慣があったんだよ。
――といっても、几帳面な性格とかそういうんじゃなくて、単純に数年後とかに見たらおもしろいし、備忘録になるかな、くらいの感覚なんだ。夜寝る前にノートを開いて、今日あったことを二、三行書くだけ。中学のころから続けてるんだ。
でもある日、本当に書くことがなくてさ。「今日は特に何もなかった」なんて書くのも芸がないから、ちょっとした遊び心で適当に書いてみたんだ。
“友達の佐藤と公園でUFOを見た。すごく光が眩しかった。また来るかもな。”
もちろんそんなこと、実際には起きてない。俺はその日、一日中バイトしていただけで何一つ日記に書けるようなことは起こっていない。――で、くだらねえ嘘を書いたまま寝た。
翌朝、学校に行ったら、佐藤が妙に興奮して話しかけてきたんだ。
「なあ、昨夜のあれ、すごかったよな! 絶対UFOだよ!」って。
俺は一瞬何の話かわからなかったけど、よくよく聞いたら――まさしく俺が日記に書いた内容だった。
公園で眩しく光るものを一緒に見た、と彼は本気で言ってたんだ。
鳥肌が立ったよ。
だって、そんなこと起きてないはずなのに、佐藤にとっては実際にあった出来事になってる。嘘をついている顔じゃないんだ。
しかもクラスの奴らまで「昨日、天気予報のライブ映像に変な光が映ってた」とか言ってる。世界全体が、俺の日記に合わせて、俺をからかっているのか。そんなことありえないけど、そう思ってしまうくらいに話が合致していた。
とにかくこれだけで日記の影響だと断定するのは早計だ。そこで次の日また試してみた。
“帰り道に財布を拾って交番に届けた。中身は五千円くらいだった。”
書いた翌日、先生から呼び出しを受けた。
どうやら財布の落とし主がたいそう感心して学校にお礼を言いに来たらしい。この学校の生徒だということだけはわかったそうだ。そこからは学校が警察に問い合わせて俺のことがわかったという経緯らしい。
日記に書かれた通りに過去が改変されるというのは、どうやら本当らしい。それからも怖いくらいに日記の通り過去が変更されていった。
俺が日記に書けば、それは「昨日あったこと」になる。誰に聞いても「そうだよ」と頷く。俺の頭の中にある「本当の昨日」を覚えてるのは、どうやら俺だけだった。
はじめはノリでくだらないことを書いて楽しむ程度だったが、気づいたら歯止めが利かなくなっていた。
“昨日のテスト、100点だった”と書けば、答案用紙は満点にすり替わる。
“昨日彼女ができた”と書けば、本当にクラスの子が俺の彼女になっている。
何もかも、俺の一筆で現実が変わるんだ。
でもな、不思議なことが起きた。
あるとき“昨日は一日中熱が出て寝込んでいた”って書いたんだ。翌朝、俺は体がだるくて動けなかった。周りも「昨日大丈夫だったか?」と心配してくる。
つまり、「過去としてすり替わる」だけじゃなくて、俺の状態が「現在にまで影響する」ということがわかったんだ。
さすがに怖くなって、日記を書くのをやめようと思った。
でもな、時間になると癖みたいにノートを開いちゃうんだ。ペンを持って何か書かずにはいられない。まるで日記のほうが俺を使ってるみたいな気がした。
それからというもの、日記の内容はだんだん俺の意思じゃなくなったように思う。書いているときは「書こう」としているんだけど、書き終わると「なんでそんなことを書いたんだ?」と理由がわからない。
“昨日、駅のホームで誰かに突き飛ばされた”
“昨日、見知らぬ女の子に名前を呼ばれた”
“昨日、家に帰ったら母親が泣いていた”
そんなこと、俺は一切経験してないし望んでいない。翌日にはいいことも悪いことも全部「事実」になっている。
母さんに「昨日のことはごめんね」と泣きながら言われたとき、もう笑えなかった。
極めつけは、数日前に勝手に書かれた一文だ。
“昨日、日記を書いたのは俺じゃなかった。”
俺はそれを見た瞬間、心臓が止まるかと思った。
だって、本当にそうなんだよ。ページをめくると、知らない筆跡が並んでる。
俺が書いた覚えのない文章が、俺の日記の中にびっしりと。
今はもう、何を書いたのか見るのも怖い。
けどノートは毎晩勝手に開かれて、文字で埋め尽くされていく。朝起きるたびに、昨日の記憶が少しずつ違ってるんだ。
あんたに話してることだって、本当はどうだったのか俺にもわからない。
俺が覚えてる昨日が、本当の昨日なのか、それとも日記が作り上げた昨日なのか。
だからお願いだ。
もし明日、俺のことを見かけても、俺が俺だって思わないでくれ。そのときの日記には、もう俺じゃない何かが昨日を生きてるかもしれないんだよ。
何を言っているのか、わからないかもしれないけど、とにかくそういうことなんだ。俺だけど、でも俺じゃないんだよ。
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