「笑った。マジであるんだ、こういうの」
僕はその夜、画面を見ながら思わず声を漏らした。スマホにインストールされたばかりのアプリ。その名も――〈親ガチャ〉。
SNSで誰かが冗談半分に貼ったリンクを踏んだのが始まりだった。普通なら怪しい広告か詐欺サイトだと思うだろう。
でも開いてみると、やけに作り込みがしっかりしている。今のところしつこい広告もない。オープニングで流れてくる鮮やかなガチャ画面、豪華な演出、そして現れる「親を引き直しますか?」のボタン。冗談にしてはなかなかおもしろそうだ。
僕は試しにそのボタンを押してみた。
スマホが振動し、派手な光の演出が画面を覆う。ガチャ特有のド派手な演出に、思わず笑ってしまった。
「すげーな。パチンコのリーチ画面かよ」
そう言った瞬間、周囲の景色が大きく揺らいだ。
次に目を開けたとき、僕は知らない家のベッドにいた。
見回すと壁には高級そうな絵画、棚にはゲーム機とソフトが山積みになっている。未開封のものもあった。可動式の本棚には漫画喫茶かと思うほど漫画が詰まっている。
勉強机には精巧な戦艦模型とアニメキャラのフィギュアが一緒に飾ってあった。
半開きになったウォークインクローゼットはかなり奥行きがあり、ちょっとしたブティックのようだ。
部屋の中には他に二つ扉があった。まさか、トイレと風呂? ――部屋が広すぎる。
階下からは「おはよう!」と明るい声。リビングに降りると、完璧な笑顔の父母が朝食を用意して待っていた。
「今日は遅いじゃないか」
「もう! パパとママで朝ごはん作り終わっちゃったよ」
「あ、その、ごめん……なさい」
普段、家族みんなで朝ごはんを作るのか?――ってか、なんだこれ、ホテルの朝飯かよ。
「いいの、いいの。お勉強で疲れたんでしょ? さ、座って。冷めちゃうわ」
カリカリに焼かれたベーコン、大量のサラダにフルーツ、ヨーグルト、オレンジジュース、ミルク、コーヒー、ふかふかのチーズオムレツにトースト、バターやジャム、蜂蜜などのトッピングも充実している。
――どうやらSSR親を引き当てたらしい。
夢だろうと思った。だが数日が経つと、この世界が現実であることを嫌でも理解させられる。
前の世界はいかにも無課金勢な親ガチャ結果だった。虐待まではいかないが、愛情なんて欠片も感じず、存在を無視される日々。
だがここでは違う。欲しいものは何でも手に入るし、笑顔と愛情が無尽蔵に注がれる。
最初は最高だった。――だが、次第に気づいた。
この「SSR親」、やたらと過保護だ。
僕が学校でちょっと友人に注意されたら、翌日その友人は消えていた。担任に聞くと、うわずった声で「転校しました」とか言う。何かに怯えているようだった。
当然、友達なんてできない。表面上は仲良くしてくれるが、やはりみんな何かに怯えているようで深く関わろうとしてくれない。ちょっとでも僕が嫌だなと思って不満をもらすと、やはり翌日、その関係者は消えていた。
服か鞄に盗聴器でも仕込まれてないと、そんなことできないだろうと思うとぞっとする。
僕が何の気なしに「欲しい」と呟いた品は翌日には必ず部屋に置いてあった。CMで見て「うまそう」とつぶやいたコンビニ菓子まで守備範囲だ。
まるで世界の裏側ですべてが調整されているかのように、何でも思い通りになった。
そんな生活が続くとちょっとばかり息苦しくなってくる。それに常に見張られているようで怖い。
再び例のアプリを開いたが、反応がなかった。どうやらガチャは一度しか引けないようだ。
僕はアプリをアンインストールして、再度インストールし直した。すると――
「親を引き直しますか?」
このアプリ、リセマラもいけそうだ。これなら理想の親が見つかるまで何度でも引ける。
今度はUR演出が始まり、さらに豪華な親が当たった。城のような邸宅に、資産家で顔も完璧な両親。
けれど、貼り付いたような不自然な笑顔だ。近づくと、瞳の奥はガラス玉のように冷たかった。目が笑っていないというのはこういうことだという見本のような表情だ。
仕事が命という様子の両親とは接触がほとんどなく、家政婦さんが何でもやってくれた。仕事以外興味がなさそうで、金を惜しみなく渡してくる。
世の中の面倒ごとはほとんど金で解決する。自分もその面倒ごとのひとつなのだろう。欲しいものも手に入るし、何不自由ない生活だったが、空虚な日々だった。
やり方は過激だったが、ひとつ前の親の方が愛情深かった。
そこからはリセマラ沼だった。
親は理想に近づいたり、遠ざかったりした。同時に、世界が少しずつ歪んでいくように感じた。
本当の親の顔は忘れた。
自分が何を求めているのかもわからなくなってきた。ただただ、ガチャを引きまくった。
ただ――ある日、気づいてしまった。
スマホの画面の隅に、小さくこう書かれていた。
〈残り:あと一回〉
僕は慣れた手つきでアプリをアンインストールする。そして再インストール。しかし同じ表示が出る。
〈残り:あと一回〉
アプリの再インストールで完全にリセットされるわけではなかったのか……。
僕は震える指で、「親を引き直しますか?」のボタンに触れた。これが最後の一回になるかもしれない。
頼む! 今度こそ、理想の親にしてくれ!
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