その自販機は、商店街の外れにひっそりと置かれていた。
パッと見は普通のドリンク自販機だ。ラインナップもコーラ、緑茶、スポーツドリンク、缶コーヒーと一見なんの変哲もない。
しかし、その自販機には奇妙な噂があった。
「客を選ぶ」らしいのだ。
どういうことか。
ある人は100円玉を入れた瞬間にガチャンと缶コーヒーが落ちてくる。お釣りまできっちり出る。出てきたお釣りは30円。70円で買えたことになる。勝手にディスカウントしている。
だが別の人は同じようにお金を入れると、突如として機械音声が鳴る。
《あなたには販売できません》
そして硬貨がそのまま返ってくる。
いや、意味がわからない。
「金払ってんのに買えないのかよ!」
と怒鳴っても、返事は同じ。
《あなたには販売できません》
いにしえの頑固親父の店で「態度が気に入らないから売らない」と言われるのに似ている。
俺は正直、そんなの誰かの冗談に尾ひれがついて広まっただけだと思っていた。
だがある日、友人の佐藤が噂の自販機に挑戦したのを見て確信した。
佐藤は喉が渇いたらしく、財布から100円玉を取り出して入れた。
ピッと光が点滅した後、機械音声が響いた。
《服のセンスが悪すぎます。改善してからどうぞ》
俺は腹を抱えて笑った。
佐藤は赤と黄色のチェック柄シャツにピンクの短パン。いや、確かに自販機に言われても仕方ない。
「お前、そのカラフルボディで言うのかよ」
佐藤はド派手な企業ロゴがデザインされた自販機に文句をつけた。俺はいつまでも笑いが止まらない。
翌日、話を聞いた別の友人、田中が試した。
コイン投入。
《あなたは昨日5本も缶コーヒーを飲んでいます。今日は水にしましょう》
するとガチャンと勝手にミネラルウォーターが落ちてきた。
「いや、俺、コーヒー飲みたいんだけど!?」
田中が必死に叫んでも無駄だった。
自販機の画面には《健康第一》と表示されている。
なんなんだ、この正義感。いや、その前にどうして田中のコーヒー摂取量を知ってるんだ?
その後も観察していると、いろんなケースがあった。
・ぐいぐいと小銭を押し込んだ男 → 《態度が悪い》で返金。
・デート中の女子高生 → 《楽しんで!》のメッセージと共に2本サービス。
・泥酔したサラリーマン → 《お帰りください》と表示した後、電源が落ちる。
完全に客を選定している。
最悪だったのは、俺の番だった。試しに缶コーヒーを買おうとした瞬間。
《あなたは昨日、深夜にラーメン大盛りを食べましたね?》
ギクッとした。確かに食べた。誰にも言ってないのに。
《糖分の取りすぎです。今日は買えません》
俺の指は虚しく缶コーヒーのボタンを押し続けたが、二度と反応しなかった。やがてカコンと間抜けな音がしてお金が戻ってきた。
人の飲んだもの、食べたものを完全に監視してるのかよ。街中の監視カメラとデータ通信でもしてるのか? 自販機の裏の配線を見たが、よくわからない。
商店街の噂はさらに広まった。
「自販機に認められたら、なんかうれしい」
「拒否されたらちょっと恥ずかしい」
しまいには観光客まで押し寄せ、「選ばれるかチャレンジ」が名物になった。
ある女子高生グループは試しに全員で挑戦。結果、二人は普通に買えたが、一人だけ返却口にお金が戻ってきた。
《ちゃんと宿題をやってから来ましょう》
場は爆笑に包まれた。女子高生は「マジ、最悪」と、赤面して走り去った。
噂によると、就活生がスーツを着て挑戦したら、《もっと笑顔を練習しましょう》と甘いホットココアが出てきた。緊張の面持ちだった就活生は思わずにっこりしたという。
また別の噂ではカップルの男性が「おい、のど乾いた」と横柄に飲み物をねだり、仕方なさそうに財布を開いた女性に向かって《早く別れたほうがいい》と出たとか……。
俺は思う。その自販機、もはや飲み物を売る気はあまりないのではないか。気に入った人にはサービスするし、気に入らない人はシャットアウト、健康に問題がありそうな人にはあえて売らない。
でも不思議と、みんなその自販機に挑みたがる。みんな誰かに認められたいし、認められなくともかまってほしい。
もしかしてこれは、この自販機を設置した企業の新しい販促なのかもしれない。
――ともあれ、俺もいつか健康管理をちゃんとした日にコーヒーを買いに行こうと思っている。
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