#429 後ろの行列

ちいさな物語

あれは、本当に妙な体験だったんですよ。

会社帰りにいつもの道を歩いていたら、後ろから足音が聞こえたんです。

最初は一人分の気配でした。まあ、夜道だし誰かが同じ方向に歩いているんだろうと気にしませんでした。

でも、その足音がぴたりと僕の歩調に合っている。息づかいまで重なっているように感じたんです。

嫌な気分になってそっと振り返ると、知らない男がいました。手に持っていたのは……靴べら。

靴べら?

凶器……とまではいかないが、何だか意味がわからなくて怖い。その男は無言で僕を見ていました。

ぞっとしましたが、目をそらして歩き続けました。

しばらくすると、もう一人分の足音が増えました。またそっと振り返ると今度は女性。手にはもやしの束を握っている。袋に入ってすらいない、そのままつかんでいる。

やがて三人目が現れました。中年のサラリーマン風で、なぜか墨汁の容器を握っている。

四人目は学生らしい若者で、おたまを振っていた。

五人目は……コモンマーモセットを抱いた老人。マーモセットはきょとんとした顔でこちらを見ている。

六人目は、道端からちぎったのか、ぺんぺん草を一束握りしめた少女。

気づけば僕の後ろには行列ができていました。十人、二十人……。誰もしゃべらない。ただ手に変なものを持って、僕と同じ歩調で歩いている。

振り返るたびに列は伸びていました。

「すみません、何か?」と声をかけても返事はない。ただにやにや笑う者もいれば、真顔の者もいる。

歩くたびにカツン、カツンと靴音が響く。もやしがポロポロ落ちる。墨汁の容器がちゃぷちゃぷ鳴る。おたまが風を切る。猿が小さく鳴く。ぺんぺん草の青臭さが漂う。

すべてが僕に追従していた。

やがて列は道を埋め尽くし、後ろは見渡す限り人だかり。数百人はいたはずです。

それでも、誰も僕を追い抜こうとしない。ただ黙ってついてくる。

胸が苦しくなり、走り出しました。

角を曲がり、細い路地に飛び込む。

でも振り返ると、全員が同じ速さで走ってきている。靴べらを振り上げ、もやしを抱え、墨汁をこぼし、おたまを鳴らし、猿を抱え、草を振り回しながら。

笑い声が混じり始めました。最初は一人、次に二人、そして全員が。

アハハ、アハハハハ……。

狂気じみた笑いが夜の街に響き渡る。

「やめろ!」と叫んでも、誰も止まらない。

恐怖で足がもつれ、僕は転びました。顔を上げると、細い路地から黒子の衣装を着た何者かが忍び寄ってくるところでした。

さっと鎖のようなものを手渡される。それからそいつはこう言ったんです。

「並んでください」

気づけば、僕の手には鎖――長く繋がれたクリップが握られていました。やけに手間がかかっている……。それは動くたびしゃらしゃらと鳴る。

前を見ると行列の先頭が別の誰かになっていた。それは帰宅中らしき中年の女性だ。

ちらりと振り返り、僕を見て、それからクリップを見る。怯えたような表情のまま前に向き直ってから、再度振り返ってまたクリップを見た。

その人物の後ろに、クリップを持った僕、靴べら、もやし、墨汁、おたま、猿、草――が続々と並ぶ。

女性は怯え切って駆け出し――転んだ。

なるほど。こういうルールになっていたのか。腑に落ちた――わけないよな。

……どうしてあの日、あの道を歩いてしまったんでしょうね。

気をつけた方がいいですよ。

あなたもいつの間にか、意味のわからないルールで、意味のわからない行列に加わっているかもしれないんですから。

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